さあ、立って、出ておいで 雅歌2章8-17節
ソロモン王はシュラムの女性を愛しました。ケダルの天幕、遊牧民のテントのように日に焼けて黒いけれども、王が美しいというので、この女性は自分のイメージを回復しました。奥の間で個人的に主と交わり、パーテイにも一緒に行きます。王様の覆いの中で守られ、ブドウの木である主御自身とリンゴ、即ち御言葉を慕い求めて、満たされています。
8節:愛する方の声とは、御言葉のこと。御言葉が来るとき、愛と命と喜びにあふれて、跳ねる。問題の山を越えて、信仰の丘に立ってダンスする。主にとって、どんな山も問題にはならない。だから御言葉が来ると、問題はあるが、問題にならない。
9節:カモシカやシカは山にいて、用心深く、敏感な動物です。彼は愛と忍耐をもって、鋭い認識力を働かせて、私たちを見守っています。私たちには壁があって、プライドがあって、明け渡すことができません。イエスキリストは神であり、救い主であり、歴史の主人公です。でも、何かにしがみついて、心の中心を明け渡すことをしません。
10-13節:主は語りかけます。「さあ、立って、出ておいで。」 冬は過ぎ去り、大雨も過ぎて行った。備えの時は終わった。古い自分を新しく変革する時だよ。成熟したいなら、新しい季節の始まりに、さあ、立って、出ておいで。もう、自分で何とか帳尻を合わさなくていい。自分で自分を守ろうとしなくていい。神が、主が覆いとなって下さったよ。花、歌、山鳩…香りと喜びと愛と躍動感があふれています。復活の主の命です。イチジクの実は空腹を満たし、力と命を供給するし、医薬品として湿布の役目をします。ぶどうの木も花が咲いたので実を待っています。
14節:岩とは、イエスキリストのこと(1コリ10:4) キリストはあなたと私のために、打たれ、傷つけられ、殴られ、殺された岩です。それは、キリスト、即ち命の水を飲むため。キリストの全身は裂かれ、傷つきました。その打ち傷によって、流された血潮によって、私たちは癒されました。がけの隠れ場とは、全能者の陰(詩篇91:1)のこと。主の十字架の陰に、全能なる神の陰に宿る者の幸い。しかし主は招く。さあ、立って、出ておいで。主は、命の声、命に満たされた表情を見たいと願われる。岩の裂け目から出た水を飲んでいますか? 岩の裂け目から出た血潮をもっていますか? 血潮の中で生きていますか?
もし、主の十字架の陰で生きているなら、つぶやきや不満ではなく、喜んで神の栄光のために捧げ、謙り仕えるでしょう。だから、イエスの打ち傷とそこから流れる血潮を見て下さい。そして十分に、心いくまで飲んで下さい。イエスの血潮には圧倒的な力があるからです。パウロは何と書いたか? 2コリ4:8-11
15節:狐はずる賢く人をだます。毎日毎日、毎週毎週、毎月毎月、、、どうして祈ったり、主に仕えたり、礼拝する時間がないのだろうと不思議に思う。子狐がぶどう畑を荒らしているのです。あちこちで、少しずつ、だまされて、時間を浪費し、主との個人的な時間を奪われているのです。
16節:私のもの→主のもの、6:3は主のもの→私のもの…これがあるべき姿、成熟した姿。信頼して主にゆだねると、主は清めて、祝福して用いて下さいます。5つのパンと二匹の魚が5千人を養ったように。
17節:花嫁はまだ未成熟で自分の思いも完全には委ねていませんが、願いは、いつも主の下にいたい。まだプライドを砕いてはいませんが、良い態度です。
1.御言葉があなたにきますように2.主のあなたへの愛と忍耐が見えますように3.騙されていないか? 十字架を妨げるものは何か? 祈り・奉仕・礼拝が心いくまで捧げられているか? 4.すべては主からのものです。用いて下さい。
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