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タンバリン・レッスン

20050912_2049_000.jpg熊本ベテル教会には、ハープ部とタンバリン部があります。いずれも、チームとして少しずつ前進しています。タンバリン(聞くにも見るにも美しい楽器;ヤップ師)について、マーガレット・ヤップ師の教本から紹介します。

1.タンバリンは創造の日から使われてきた。
2.タンバリンは神への賛美の楽器である。
  タンバリンと踊りを持って、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。(詩篇150:4)
3.タンバリンは神の言葉を受けるために他の楽器と共に用いられた。
4.タンバリンは主の喜びを表現する楽器として、踊りと共に用いられる。
5.タンバリンはその音楽が敵を滅ぼす為に神によって使われる武器である。
  主がこれに下す懲らしめのむちのしなうごとに、タンバリンと立琴が鳴らされる。(イザヤ30:32)
 教本には22のタンバリン・パターンが記されてありますが、創造性に富んだ楽器です。レッスンは毎月1回、月曜の夜に2時間ぐらいやっています。写真は、ピンボケしていますが、タンバリンの正装です。
 主に向かって、喜びの声をあげよ!!!


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アブラハムの僕、エリエゼル

 アブラハムの全財産を管理する最年長の僕、エリエゼルのこと。これも創世記24章の記事から。アブラハムから絶大な信頼を受けていたこの僕。さすがだ・・・!!! 決して自分のポジション、立場から離れない、使命を一瞬も忘れない。どんなときも一貫している。
 彼は、神が生きておられ、必ず良い事をしてくださる事を信じている。その行動は、その信仰に立っており、神への信仰の祈りと共に、絶えず祈りながら、神のなさる事を見極めようと、見つめ続けている。主人から託された使命に忠実に、誠実に立ち続けている。
 「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(ヘブル11章)
 アブラハムの一人子、イサクの嫁探しという重大な使命を負って出発した遠距離の旅路に、神は応答して下さる。信仰と祈りで出発した旅は、どんな状況にあっても、神とその約束を、再認識、再確認することで、再構築されていく。自分を知る者の生き方、光を浴びた者の生き方。自分はどこから来て、どこに向かっているのか、死んだら自分はどうなるのか、消滅するのか、ならば、何故良い人生を忍耐して構築しようとするのか・・・・????
 あなたを造られた創造主神は、イエス・キリストという「真理なり、道なり、命なり」のお方を通して、あなたを呼んでおられる。目を閉じても、耳を閉じても、事実は事実、真理は真理。
 神は生きておられ、働いておられる。求めるものは与えられ、探すものは見出し、たたく者は開かれる。神はあなたに良いものを下さる良いお方です。

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リベカという女性

 しっかりした妻をだれが見つけることが出来よう。彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。・・・彼女は悩んでいる人に手を差し出し、貧しい者に手を差し伸べる。・・・主を恐れる女はほめたたえられる。(箴言31章) 
 創世記24章にリベカという女性が登場する。アブラハムの一人子、イサクの妻となる女性である。記事を読むと彼女は、美しく、勤勉、思いやりに富んでいる。親切をなすときに迷いが無く、機敏である。プラスαの出来る女性、現代用語で言うならば、空気の読める女性、流れの読める女性、・・・。リベカは生き生きとしていて、何か命の豊かさを感じさせる。
豊かな人生、命溢れる人生とは、どんな人生なのだろうか? どんな人も、意味の無い人生を恐れている。何故なら、幸福に生きる為に、愛される為に、創られたからだ。人として生まれたきた使命、目的を知り達成することは、生き生きとした、主体的な努力をさせるものだ。
 幸福とは、所有することではなさそうだ。所有することは、人生の目的への手段に過ぎないから。聖書は、むしろ、与えなさいと、与えるものは幸いなりと、記す。真の目的を発見しているか? 
 彫刻家の父が大理石の塊を彫る。人の顔が彫られ、息子は父に尋ねる、「お父さん、大理石の中にこんな顔がある事を何時知ったの?」
 昨年、教会を新築した。設計士(鈴木能成氏)の頭には、立面があり、円ホームの直理社長の頭の中には、完成図が、それぞれ鮮やかにイメージされている。私たちには、「ああしたい、こうしたい」という願いはあるが、少し先しか見えない。でも彼らとの対話の中で、いつもわくわくしながら、具体的に、ぐんぐんと建築は前に向かって、進められていった。分からないことも、見えないことも多かったが、ビジョンを一つにし、実現に向けて、彼らを信頼して進めた。楽しかった。
 「幻の無い民は滅ぶ」、これも聖書の言葉、ゴールを知らない民、ビジョンのない民は地べたに座り込むしか仕方が無い。座り込んでも生き生きと座り込みたいではないか。リベカのように、命溢れて生きていきたい。

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クロマハープのこと

05090608
 大型台風接近のニュースの中、対策をし終えると、祈りの心で、久し振りにハープに向かう。右手の親指・人差し指・中指にピックをはめて、ハープを胸に抱く。最近のお気に入りピックは、ステンレス製のもの。先ず、呼吸の祈りで心を整える。鼻で息を吸う、口からゆっくり息を吐く。幾度か繰り返すと、落ち着いてくる。
 「キリストにはかえられません」「来たれ誰も」、宿題の二曲を練習。ハープの会のメンバーの顔が目に浮かぶ。リーダーの顔も。イスラエルのダビデ王が少年の時、竪琴を奏でると、サウル王の病が癒された。そんな事を考えながら・・・。綺麗な音を出すのは難しいが、練習していると、否定的な想いから解放される。メンバーたちもこの楽器を通して、随分と励まされてきたことだろう。多忙な中にあって、ハープを続けられた理由でもある。

 ところで、先週の日曜日の午後の、ラヴストーリのコンサートの素晴らしかったこと、歌もギターもコンサートの構成も見事だった。彼らのコメントの中で、心に残っていることの一つ・・・有名になり始めたとき、母は僕らの手を握って、「この世で目立つのではなく、神の国で目立つものになりなさい、励ましの必要なところ、希望の必要な人々のところに行って、真の神を賛美するものになりなさい」と祈ってくれた。今の僕らは、母の祈りの応答です。・・・どこに行っても、素晴らしい母のところに人材が育つ。母を愛する父のいるところに人材が育つ。父の心を子に、子の心を父に・・・、家庭の回復は日本の宿題だ。

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天の下では、何事にも定まった時期があり

 すべての営みには時がある。生まれるのにときがあり、死ぬのに時がある。
 植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
 殺すのに時があり、いやすのに時がある。
 くずすのに時があり、建てるのに時がある。
 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
 嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
 抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
 探すのに時があり、失うのに時がある。
 保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
 引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
 黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
 愛するのに時があり、憎むのに時がある。
 戦うのに時があり、和睦するのに時がある。(伝道の書3章)
 今日は創世記24章1-9節、「アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた」 神と共に歩んだアブラハムの人生、こんな告白と共に老年を過ごすとは、何という幸せ。弱さも卑怯な姿も露呈し、一握りの墓地を所有するアブラハムに、こんな告白をさせた、神の時のうるわしさといえるだろう。一人息子イサクの結婚の大事の時に、アブラハムの人生の原則は何であったのか?
 1.私を愛し祝福された神は、私の子を必ず祝福されるという信仰
 2.人生の大事を、神が導かれるという信仰
 3.結婚に際して、世的基準、自己基準よりも、霊的基準を最重視した事
 4.神の導きを信じ、父親としての最善を尽くした。神の御心>イサクの結婚、何故なら、必ず神はイサクを良き   結婚に導かれるという確信があったから。
 祝福は父から子に注ぎだされる。父としてアブラハムのような人生の原則を大事のとき適用する為に、日々小事に忠実であろう。

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