主を知る事を切に追い求めよう
ホセア6章から
形式的な礼拝、儀礼的、表面的、公式的、、、心を打たない、、、。・・・と指摘。
表面的には悔い改めて、主に立ち返ろうと告白するが、実際、「あなた方の誠実は、朝靄のようだ」と神は言われる。十字架の愛が問われている、ポーズだけの信仰を振りかざすナ!!!と。 イターイ。でも、自分の愛の乏しさに再び落胆、神はすごい、すごすぎる、神の愛の偉大さは、希望。
その神が、言う。「全焼のいけにえより、主を知る事を喜ぶ」と。神を知ることは、神の喜び。だから、主を知ろう、主を知る事を切に求めよう。父なる神は、主だけを受け入れる。信じて義とされたアブラハムのように。信仰義認。
知るとは、愛すること。宗教イベントに参加すればいいのではなく、深く知ろうとすることから始まる。パウロの告白は、「私の主であるキリストイエスを知っていることの素晴しさのゆえに、一切の事を損と思っています。」
主が新しい契約の仲介者となって下さるので、契約は私たちの心に書き付けられ、小さい者から大きい者まで、皆主を知るようになる。新約の聖徒の特権を放棄しないで、主との命の交わりに預かること。
主を知り、その価値観に生きようするとき、人生が変えられる。自分の得を求めて、右往左往せず、あなたを贖った主の素晴しさをもっと知ろうとし、そのためにむしろ損をしようと思わなければ、形だけの宗教人に成り下がるだけ、、、。
主の素晴しさを知ろう、深く知っていこう。主の素晴しさ、偉大さを賛美、礼拝していこう。そのことが影響力を与えていく。
かけがえの無い祝福、太陽が毎朝昇るように、主が来て下さる。収穫のために雨を降らせて下さる。
自己中心から、イエス・キリストに目を上げよ。ザアカイには木を、盲人バルテマイには聴力を神は備えておられた。
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