一人芝居「マリーマグダレン」
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成人の日の朝、ヤンの母と。キムの父と。父親と。
振袖は母が私の為に作ってくれた物ですが、私は成人式には出ませんでしたし、大学の卒業式も、白のスーツでした。その振袖を長女、次女が着てくれて、母に恩返しが出来たような気がします。今風の着物とは違い、クラシックですが、娘達は喜んで着てくれました。感謝でした。次は孫が着てくれるかな?
成人した娘! 人が生きていくうえで、何が一番大事かを思い出しながら歩いて欲しい。
親業も曲がり角。私たちの人生もいよいよ次のステップに本番。神に人生を捧げることで人間が何を成し遂げることが出来るか、手本になるように歩みたい。親の祈りがいつも君の肩に、背にある! 走りぬけ、最後まで
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2006年12月、両親がお墓をつくりました。在日韓国人の両親が、一体どこに葬られたいのか、父はどこでもよく、母は長い間、韓国に、と言っていました。母は教会墓地を願っていましたが、私たちの教会にはまだ墓地が無く、1%も考えたことの無い熊本にお墓をつくりました。本当に日本に骨を埋めるつもりです。クリスチャンの両親が何故、日本に定住したのか、神様だけがその歩みを導かれたと思います。「私たちの国籍は天にあり、この世では寄留者である」と、そのままの人生です。老いてからは、韓国へのこだわりも無くなり、二人の好きな聖書の言葉をふんだんに入れて、お墓が完成しました。クリスマスでした。上には7房の葡萄、下には3房の葡萄、それぞれ、完全数と三位一体の意味を込めました。写真にはありませんが、一番下の扉には、母の一番好きな薔薇を二輪刻みました。家族で祈りに行った一こまです。
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十一献金の生活はクリスチャンの基準です。
青年達が証してくれました。
十一を神様に返しだして、収入が安定し祝福されています。
給料の残りで献金しようとしたら、いつもお金が足りなくなって、ピンチだった。
十一を返すことによって、お金がたまるようになった。
お金を稼ぐことよりも、今あるお金をいかに使うかは難しいことです。ほとんどの人はケチで自分の為しか使うことが出来ません。
主は、そんな者が、礼拝を捧げ、御言葉を読み、祈るうちに変えられ、献金が出来るようにして下さいます。
金持ちとは、与える者のこと。
驚きです。無理することも無く、頑張ることも無く、今あるうちから一部を聖別してお返しし、あとどう使うかを祈り考えて使います。お返しするとき、与えるときに、悪魔も出て行き喜びが与えられます。
お金は大切ですが、人生の道具です。お金に縛られた人の人生は悪魔の圧迫で平安がありません。
献金は素晴しい主からの賜物です。
(幸いな人3月号特集を読みながら、、、。)
神のものは神に、カイザルのものはカイザルに返しなさい。
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不正なお金を受け取るくらいなら、文無しでいい。
自慢ばかりで、おごりたかぶるよりも、見落とされるほうがいい。
人をなじる前に自分が告白しよう。
ぼくは善意を選ぶ。
ぼくは誠実を選ぶ・・・
今日、ぼくは自分のした約束を守る。
ぼくに貸しのある人は、ぼくを信頼しても後悔することはない。
ぼくの同僚は、ぼくの言葉を疑問に思うことはない。
ぼくの妻は、ぼくの愛を疑うことはない。
ぼくの子どもたちは、
お父さんが家に帰ってこないんじゃないかと心配することは
決してない。

ぼくは柔和を選ぶ・・・力ずくで勝ち取れるものは何もない。ぼくは柔和を選ぶ。
ぼくが声を張り上げるのは、賛美のときだけでありますように。
ぼくが手をぎゅっと握りしめるのは、祈るときだけでありますように。
ぼくが、何かをするように迫るのは、自分自身に対してだけでありますように。
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ぼくは平安を選ぶ・・・
ぼくは赦されて生きる。
赦されて生きるために、ぼくも赦そう。
ぼくは寛容を選ぶ・・・
この世界の不便さを大目にみよう。
ぼくの場所を奪おうとする人を呪うかわりに、自分からそう勧めよう。
長く待たせすぎると文句を言う代わりに、
祈る時間が与えられた事を神に感謝しよう。

また仕事を言いつけられたと拳を握りしめる代わりに、
喜びと勇気を持ってそれに取り組もう。
ぼくは親切を選ぶ・・・
貧しい人に親切にしよう。彼らはひとりぼっちだからだ。
お金のある人に親切にしよう。彼らは不安だからだ。
不親切な人に親切にしよう。
なぜなら、神がぼくをそう扱ってくださっているからだ。(マックス・ルケード)
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