父の愛~ルカ15章
ルカ15章1節から3連のたとえ話の聴衆は、収税人、罪人達、パリサイ人、律法学者
パリサイ人のレベル・・・身分差に敏感に反応、軽蔑している人々と共に食卓につけない
1.いなくなった1匹を大喜びする羊飼い
2。なくした銀貨を念入りに捜して喜ぶ女の人
悔い改めるなら、
3.放蕩息子のたとえ、しかし主人公は父、父の心、父の愛
次男の要請・・・生前分与 父は与えるしかない、与えなくても出て行くか、険悪な関係になる
現実・・・目に見える現実は父の家にいる次男、目に見えない現実は、父の家が嫌だった。
次男は父から離れて、自由を得たと思った。でも自由は簡単に得られない。ピアニストが自由にピアノを弾く、シェフが、主婦が、美味しいものを作る、医師が医療行為をする、建築家が家を設計する、。。
生きていく自由を獲得するのに、どれだけの時間と経済とを投資したのか?
次男は放蕩する。現実と向かうあっていない。財産とは、何か? 健康、能力、家族、持ち物、資産、時間、奉仕。私の本質、存在
すべて使い果たして、飢饉になり、誰も彼を助けない、誰も彼を愛さない、誰も彼を必要としていない、精神的孤独と貧困の中での飢饉は、彼を打ちのめした。でも今までうまくごまかして来たに過ぎない。
10章に良きサマリヤ人の話がある。レビ人、祭司は強盗にあって倒れている人を助けませんでした。いわゆるクリスチャンです。毎年31000人が自殺、しかも過労自殺する国、長時間労働による疲労と過剰なストレスの中で、多くの人が強盗に襲われ倒れている状況です。世の仕組み、目的が歪んでいると思います。個人的な問題ではない。
男は失職、豚の世話をする。自分の本当の姿、内面を見ることになります。絶望の中で、われに返り、父を思い出します。そして、方向転換する。この行動が本当に大事です。父は待っていますね。実は次男に傷ついています。父と子、世代も立場も違うので、いつも理解しあうことが出来ません。でも父という理由で、子という理由で愛することが出来ます。豚の匂いのぷんぷんする次男を父はしっかりと抱いて、パーテイをします。
それまで、見えない現実だった長男のことが表れ出ます。長男は父の家にいたけれど、実はいなかった。喜び、感動が全然ない、義務感で一杯。だから父が次男にしたことを見て、比較と競争の心に支配されて、被害者意識にはまってしまいます。
実は恵みの子、二倍を相続する特権の子
でもその立場を忘れてしまった、父との関係が脆弱でした。父の愛が分からず、自分への恵みを忘れた。
父は言いました。全部、お前のものだよ、お前はいつも私と一緒にいる、と。
この父の心は、子供たちを受け入れようとするものでした、理解しようとするものでした。信頼に値するものでした。父は次男が帰ってきたとき、先に走りよって彼を抱き、あらゆる攻撃、告発から保護しました。これは無条件の父の愛でした。
へりくだって正直になるなら、この父の心が分かります。へりくだって正直になるなら、罪人が悔い改め、神のところに方向転換する姿を今日も父が待ち望んでいることを感じることが出来ます。発見した次男を抱いて、楽しんで喜ぼうとした父は、過去を問わず、未来を見ました。神はこれから先の将来を見てくださっています。世界のクリスチャンは、特に韓国のクリスチャンは、日本が失われた1匹の羊だといって、日本のために祈っています。神は悔い改めて神に方向転換することを待ち望んでおられます。あなたの家族の中にまだ主を信じない魂があるでしょう。神との絆をしっかり結び(理解・信頼・保護)満たされ、父の心を実践するものとなりましょう。
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