ルカ22:39-53
誘惑に陥らないように祈っていなさい
祈る姿が、あなたの自画像です。イエスの祈る姿は、イエスがどんなお方を語っています。いつも祈るお方。
「いつものように」とは、人生の一部だということ。主は祈りを知っておられる。どこで、誰に祈ったらいいのかを。
ルカ22章のイエスの祈りの姿は、あなたの生涯忘れることが出来ないでしょう。
人生の重要な出来事の前に
洗礼の時(3:21) 病人を癒す時(5:16) 12弟子を選ぶ時(6:12) ペテロのメシヤ告白を導く時(9:18)
変貌山の出来事(9:29) 弟子たちに祈りを教える時(11:1) 十字架上で(23:34,46)
祈りについての教え:11:5-8(求めなさい、、、) 18:1-8(いつでも祈るべきであり失望してはならない)
主は何のために祈られたのか? 十字架の苦難に向かって、捕まる寸前の出来事
①裏切り、試練、誘惑、苦難、理解されない、失恋、病、人間関係の破綻、、、誰でも弱くなり、孤独感で打ちのめされます。しかし祈るなら、主と交わり聖霊に圧倒されるなら、試練と苦難を乗り越える力を得る
②自分のありのままを認め、限界を差し出し、与えられた使命の前に謙遜になり、神に明け渡す、自分を徹底的に無にし、神の御計画に従順する。これが十字架の祈り。
十字架は何を意味しているか? 人には何も良いところがない、救われるための場所。
51節、主は力ある神であるにもかかわらず、ピリピ2章、十字架でサタンを打ち滅ぼすために、父の御旨を受け入れた。これが、愛・犠牲・仕えたということ。祈りがイエスの勝利の秘訣。弟子たちから少し離れ、神と一対一になり、切に神に向かう(この祈りは時と場所を定めてするもの、自然には出来ない。霊的戦い、このような祈りには天使が力づけてくれる)
弟子たちの姿を見ましょう。
悲しみに眠り込んだ。混乱した。イエスを捨て散らばって逃げた。主を知らないと否認し、試練に躓いた。
直面した状況の内容の違いではなく、祈らなかった。49節から見ると、この問題の本質は霊的な戦いであることを理解せず、血肉の戦いをしようとした弟子たちの姿を見る事ができます。人間には性格がある。遺伝的なもの、作られたもの、心の傷や過去の体験から来るもの、それらを総動員して。これが悪魔の誘惑です。神のようになるということ。
私たちにも、物事を考える力、理性的に判断し、問題を解く力が与えられている。私にも、です。しかし、大切なことは、はじめに神がおられ、全宇宙を創造された。創造の冠として、神のイメージで人間が神の目的を持って作られたと言うことです。
列車が、時計が、机が、マイクが、山が、海が、どんなに自己主張しても、作られた目的にかなわなければ、美しくありません。着物をガウンのように羽織ることまではいいかも知れません。馬とロバを掛け合わせたら、ラバが出来る。でもそれまでです。創造の原理に反しては、先がない。
聖書全体を一貫して繰り返し語られる真理がある。
恐れもある、感情も伴わない、弱さもある。しかし、御言葉を聞いた時、心で決め、唇で告白し、踏み出すことです。そして残念ながら、私たちはそれだけでは変わらない。人間関係の中で、指導者との関係、友人との関係、霊の家族のあり方、子供たちとの接触を通して、人格が整えられていくのです。この世は、あなたを未熟なままとどめようとします。でも教会はあなたにチャレンジします。神と交わり、神からいただき、神から引き出され、整えられ、成熟してください。父の心を持つまで。祈りの場に皆さんを招待します。
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