私は主を待つ(イザヤの信仰)~イザヤ8章
メッセージ・メモから
ウジヤ王からヨタム王、アハズ王へ
アハズは神を信じない、イザヤの警告に耳を傾けない
神は、アッシリヤを呼ばれ、ユダの侵略を赦し、ユダを戒める。
BC701年、アッシリヤ王セナケリブによってエルサレムは滅亡直前までいった。しかし、インマヌエル、神がともにおられるので、侵略は、ならない。アッシリヤの侵略が、どんなに猛威的であっても、限界がある。
神がともにいるところ・・・7:4(気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはなりません)
インマヌエル故に。。。
V11・・・親エジプト派から、謀反と呼ばれたイザヤ
反アッシリヤ同盟から共感派と呼ばれたイザヤ・・・・いずれも一線を引いた
V13-15・・・神を聖いとする、これを認める者は義人の道(即ち守りと救いの保障、助けの保障を得る)、拒む者は 罪人の道(破壊と滅びの道)
V16・・・この時代にイザヤは拒まれた。未来の為に御言葉を封印する
イザヤ(主は救い)の信仰告白・・・裁きを超え、主の救いに望みをかけている
V21・・・拒む人、悔改めない人の人生はもっと悪くなる
①ユダを愛する神はイザヤを通して警告と戒めを送り、悔改めるように強く迫った。それはアッシリヤの侵略の預言でもあった。
②人々は、神に依り頼まず、アッシリヤに頼った。
③選択の過ち、でもそれがならない、インマヌエル、神がともにおられるから(理由)
④イザヤはどうか? 6章でイザヤの召しを見る、即ち、生ける神に会った。自分が分かった、罪がある、悔改め、罪をきよめてもらった。川でおぼれるものを救命隊員がボートで救うように。自分で出来ない。義人の生き方。神に全てがあることが分かった。イザヤと家族は、裁きのとき、救いのしるしとなった。人々が神のことばがここにあるのに、霊媒、口寄せに行く。不信仰に満ちていた時代に、イザヤと家族は、神を恐れ、神に全てをより頼み、御言葉に聞き従った。精一杯の立ち方だった。全財産を売り払ってでも買う真珠のような輝き
生ける神に会うこと→自分を知ること→罪を知ること→義人の道を知ること
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コメント
私は、主を待つ
それでも,主に望みをかける。
どのような状況にあっても
そのような信仰を持ちたいです。
投稿 ASKA | 2008年4月25日 (金) 18時01分