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主が私のシェルターです~イザヤ4章から

イザヤを通して、主が、ユダとエルサレムを叱って責めている。主によって大切に育てられた国民だった。彼らは、不道徳で、法的正義も守られず、無政府状態。しかし、宗教熱心。信仰の空洞化が進んで、儀式や伝統が出っ張ってくる。儀式と見せかけ・・・これが慢性病、死に至る病。病識がないので、厄介。
神は、こんな礼拝に飽きた、耐えられない、重荷で疲れ果てた、と。「来たれ、論じ合おう」(1:18)と言う。ここに、喜んで聞く者、拒む者がある。良いもので養われる者、剣に飲まれる者がある。

神の心は、エルサレムは神の家、人々が御言葉を聞きに上ってくるところ、神の山になることでしたが、現状は、占い、拝金主義、偶像崇拝、、。終りの日、神の裁きによる艱難が襲いかかって全てが低くされ、主御一人だけが高められる。鼻で息をする人間を頼りにするな(2:22)
人間とは、信じる対象ではなく、愛する対象です。人は人を裏切り傷つけ失望させるものです。
病院にいると、人間の弱さを徹底的に見せ付けられます。昨日の新聞記事では、トラックのタイヤが激突してきてバスのドライバーが死んでいます。どうやってバスを止めたのかと、ぞーとしました。
3章を見ると、エルサレム、ユダから、支えと頼りを除かれる。即ち、パンと水、勇士と戦士、裁き司と預言者、占い師、長老、50人隊の長、高官、議官、細工人、まじない、・・・人々がこれらに頼り、安穏としていたことを知ることが出来る。
リーダーがいないので、社会的混乱状態がやってきます。そんな中で高ぶった女たちの全ての飾り物は除かれ、良い香りは腐ったにおい、帯びは縄、晴れ着は腰巻、美しさは焼け傷になり、男たちは戦いに倒れて死んでいきます。原因は、彼らの舌と行いとが主にそむき、主のご威光に逆らったから。

4章の本文は、7人の女が1人の男にすがりつく。(4:1) 花嫁料を払って娶る、当時の習慣でしたが、それどころではなく、めちゃくちゃな状態でした。本来男性に与えられた家庭におけるリーダーシップ、社会や政治におけるそれも、全部失墜状態です。
そんな状況の中で、まことの神、まことに頼れるもの、命がけで自分を守り、セキュリテイを与え、名誉を回復させてくれるものを激しく求めていくようになる。2節、主の若枝とは、イエスキリストのことです。メシア預言の一つです。エルサレムはバビロンによって滅ぼされますが、これから後、世の終りに世界の軍隊によって滅ぼされるようになる。その時、まことの神をあがめ信じて残された者たちは聖と呼ばれるようになる、命の書にその名を記された者である。裁きの霊、焼き尽くす霊、即ち聖霊によって、汚れを洗われ、きよめられる。
各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価を試す。(1コリ3:13)
あなたが立てた建物は火の中を残るでしょうか?

きよめられたエルサレムに、主ご自身が、昼は雲、夜は煙と燃える火の輝きを創造され、覆いとなる。
地球を覆うオゾン層のように。
結婚して私たちが知るのは、人が人を満たすことが出来ず、二人で一致しなければ、神は語られないと言うことでした。結婚生活の責任は先ず夫に問われます。リーダーとして立てたからです。夫たちには主という素晴らしいリーダー、メンターが与えられています。妻は輝いていますか? 主イエスキリストを中心に、互いに聞きあい、分かち合い、励まし合い、戒めあうことができますように。愛し合い、仕えあうことが出来ますように。主はまことに私が頼るべきお方、暑さを避ける陰、嵐を防ぐ避け所、隠れ家。この方に聞き従う時、あなたはまことの飾り、まことの守り、養いを受けることが出来ます。聞き従うことは、いけにえにまさる。

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