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御会葬お礼

主は私の羊飼い
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
憩いの水のほとりに伴われます。(詩篇23篇)

  妻 豊子は、4月27日、82年の生涯を立派に生ききって、
神様のみもとに勝利の凱旋をしました。見事な生き様でした。
涙と共に愛の種を蒔き、今は、主の御座の傍らで、大いなる
喜びを刈り取っていることでしょう。
痛みと苦しみの病床においても、すでに神様の祝福は湧き立ち、
地上の時は矢のごとく過ぎ去りました。
皆様方には、大変お世話になりました。又、最後まで手厚い
看護と助けをしていただき、心から感謝申し上げます。
本日は皆様方にはお忙しい中をご会葬いただきまして厚く
御礼申し上げます。お一人お一人に、神様の祝福があります
ように心よりお祈り申し上げます。2008年4月29日

熊本市
    喪主と家族一同

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母 略歴
1925年、金家、長女として韓国で出生
1941年テグ聖書学校卒業
1942年12月25日 結婚
1952年2月 来日
1952年~2004年まで、52年間を鹿児島県に在住
この間、建設会社を父と立ち上げ、会社の経営において大きな貢献を果たしました。会社の設立がなければ、両親が50年も日本に住むことはなかったかもしれません。2002年には結婚60周年記念を迎え、結婚生活のうちに二男三女の子供たちを授かり、子供たちの結婚後は、一つ一つの新家庭の幸福を祈り、孫たちまで本当に愛してやまない母でした。
2004年 約4年前の7月、私どものそばに両親で移住
2008年4月27日 午前5時 天に召される

波乱万丈、激動の82年間の人生でした。
親や家族、身内や友人からも離れ、父と過ごした日本での暮らしは、いつも揺れ動いていましたが、一生懸命に生きてきた母でした。私が牧師になった時、聖霊が臨む時、あなたは地の果てまで主の証人となる、立っていきなさいと言って祝福してくれました。母の心に、日本での暮らしは神が派遣されたと言う気持ちがあったのだと知りました。

母は、良く最も優れた愛について語りましたが、愛は上から下に来る、神様から私たちに、そして親から子に注がれる。愛は決して下から上には流れない。若い時、自由を追い求めていた私は、そんな母の愛がうっとうしくもあり、本当に寂しい思いをさせました。
この4年間、ほとんど病と老いとの闘いでしたが、たくさんの助け人を得、助けられることを受け入れさせられ、そんな弱さの中で本当のことを多くを教えられました。心筋梗塞で倒れてからは認知症もあった母でしたが、最後に母がメッセージらしい言葉をくれたのは、私の息子に「一番大事なことは、心を守ることだよ」という言葉でした。

ヨハネ14章を母と日々読むことは、母との死の準備期間でした。先が不安な時、心が騒ぎます。死を考えると心が騒ぎます。素敵だった母が、人間的には、その素敵さの全てを剥ぎ取られて、本当に恐れと不安がありました。でも主は、この世はテント住まいで、天のまことの家に帰るんだよという。あなたは一人じゃないよ!助け主がいるよ! 聖書を読むと、死は通過点に過ぎない。衣を脱ぎ捨てるように、あらゆる重荷、罪や煩い、病も老いも、全ての苦しみ、悲しみを脱ぎ捨てて、道であり真理であり命である主によって天国に帰るのです。

道であるイエスと出会い、命であるイエスを信じ、真理であるイエス。この方が、母の救い主、力、盾、ほめ歌と成ってくださったことを覚えて、神を賛美します。罪が赦され、死から命へ、あらゆる重荷、わずらいから約束の通りに解放されました。この地上では、病の中で健康の有難さを知り、苦しみの中で平安を慕い、問題の中で成長していきます。だからこの地上においては、イエスに対する信仰が求められています。天地万物をおつくりになり、歴史の支配者、主管者である偉大な神の側の確かさによって、信じるものの住まいが整って、召されました。信じるものは死んでも死なない。よみがえりのダイナミックな命にとらえられています。
82年の生涯を語ることは、出来ませんが、その良かったことも、失敗も、全て、主イエスキリストに在って、とても意義深いことであったというです。残された私たちは日々、母を思い出し、父を見守りながら、神と共に約束の人生を送って生きたいと願っています。

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弔辞


おばあちゃんにお別れの挨拶をさせていただきます。
 おばあちゃんとの想い出は僕の記憶が始まった時からあるのですが、僕にとってのおばあちゃんは誰よりも優しく暖かくいつも笑顔の絶えない方でした。ですから大口のおばあちゃんの家に遊びに行く時は、他のいとこたちに会えること以上におばあちゃんに会えることが嬉しく心が躍ったものでした。おばあちゃんの指輪を綺麗だね、と言うとおばあちゃんは「この指輪は外れなくなってしまったけど、拓也が結婚する時には指を切り取ってでもあげるからね」と言われて、幼少の僕は本当にそうしてしまうのではないかと、結婚することになったら大変なことになるのではないかと、本気で心配してしまいました。浪人生の時にはたくさん心配をかけてしまって、大学が決まった時は本当に喜んでくれて、医師になった姿を見せてあげられないのが何よりも残念です。これからはどうか天国から僕たちの成長を見ていてください。
おばあちゃんが日本に渡りまだ混沌としていた社会の中でどのような人生を歩んできたかは僕たちには知る由もありませんが、僕が見てきたおばあちゃんの姿は、神を敬い、多くの人から尊敬される愛情と慈しみ溢れる姿でした。今僕らが堂々と生きているのはそんなおばあちゃんの姿があったからに間違いありません。おばあちゃん今まで本当にありがとう、これからも僕たちを見守っていてください。

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故 成豊子姉 葬式・告別式次第
2008年4月29日午前11時
司式・説教 楊茂華牧師
奏楽    田代真理姉

前  奏          
聖  書        ヨハネの黙示録14章13節       司式者
*聖  歌        238 主よいよいよ           一 同
祈  り                           司式者          
*聖  歌        618 神の御子にますイエス       一 同

聖  書        ヨハネ14章1-3節          一 同
説  教        母の生涯について           司式者        
祈  り

*聖  歌        617 したいまつる主の         一 同      

告別の辞                           楊拓也兄

*頌  栄        主の祈り                一 同
*終  祷

遺族挨拶と御報告

 お別れ・順次散会

 出棺は12時半の予定です。

聖書   ヨハネ14章1-3節

あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。

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故 成豊子姉の愛唱歌と聖句 
聖歌 617 618  いずれも、主への熱き献身の賛美歌であったことは驚くべき神の恵みです。
  こういうわけで、いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。1コリント 13章


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5月霊性セミナーお知らせ(再)

Photo

講師プロフィール;李ヨナ師

ソウルの延世(ヨンセ)大学卒業
バプテスト神学大学院、キリスト教教育学修了
アメリカのValporaiso 大学院卒業
アメリカ霊性訓練院講師
韓国霊性訓練院講師
霊性牧会クリニック講師
ソンドサンソン教会教役者

熊本ベテル教会 5月の霊性セミナー
5月2日(金);午後7時~、生きる理由
5月3日(土);午後2時~、苦難の理由
5月3日(土);午後7時~、苦難の祝福
5月4日(日);午前10時半~、唯一の道

李ヨナ師は、アメリカのインディアナ州で、夫と開拓牧会をしていましたが、父、李天秀牧師の病の為に韓国に帰国。サンソン教会の助けをし、現在は、近くの新都市で新しく開拓牧会をされています。李天秀師と共に、国内外において、預言、異言通訳、霊性診断、相談で用いられています。

韓国において毎週木曜日、牧会者向け(超教派)の講義をしておられ、私も300人ぐらいの牧師たちと共に聴講しましたが、見えない世界を、聖書と御霊にあって、クリヤに解き明かしてくださいます。すごく切れ味がいいので、ちょっと怖いのですが、さらに優れた愛の持ち主らしく、今回も、通訳が楽しみです。主が私を憐れんでくださるように祈っています。

今回のセミナーを通して、教会の信仰成長、御言葉の理解力が増し加わり、堅固な教会として、さらに建て上げられることを期待し祈りで備えたいと思います。

主にある成長、成熟、問題解決を願われる方はどなたでもお越し下さい。必ずあなたの人生に驚くべき有益がもたらされます。

キリストの愛を、神の愛を、あなたが実感するセミナーとなりますように!

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いよいよ、明日27日は草枕温泉広場で、BBQパーテイです!

 
待ちに待った野外でのBBQパーテイです。
昨年も、広場までの道々、さくらんぼを摘みながら、歓声をあげての交わりでした。
参加費は、愛餐献金でお捧げ下さい。

エリヤ2.0と有志が、早朝より、おにぎり、御茶の準備をします。

BBQの後は、青年たちがゲームを準備しています。
楽しみに、御参加下さい。

準備の都合上、参加は事前の予約を入れてくださいね!

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庭の花々~ハナミズキ、つる紫、シモツケ

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花壇の花を見つめる。
幼い時から、いけばなに通い、一時は花を生けたり、教えたりを仕事にしていた。
昔、住んだ一軒家には、どこでも花や枝ものを植えた。クリスマス・ローズや、都忘れ、千両や万両、ハランや水仙、雪柳、ボケの花、もくれんや桜も、、、。裏庭の暗いところにはすずらんも。
結婚してからは、マミ・フラワーに出会い、これも本当に楽しんだ。友人と花のデリバリーをしようとたくらんだこともあったなー。
庭では、幼い子供たちと年中、パン生地を醗酵、こねて叩いて焼いて、パンの香り充満な中、食べた。友人にも配って歩いた。ケーキばっかり焼いていた時は、喫茶店に頼まれたりもした。
子供を寝かせて、近所の高校生に英語を教えた。良く教えられたと今でも思う。近所の主婦や大学生、子供たちにハングルを教え、韓国にアメリカに連れて行ったこともある。予備校や幼稚園の経営を頼まれたりもした。

いい時代だった。たくさんの友人たちと、良く語り、良く食べ、良く遊んだ。良く学んだ。

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私は主を待つ(イザヤの信仰)~イザヤ8章   

メッセージ・メモから
ウジヤ王からヨタム王、アハズ王へ
アハズは神を信じない、イザヤの警告に耳を傾けない

神は、アッシリヤを呼ばれ、ユダの侵略を赦し、ユダを戒める。
BC701年、アッシリヤ王セナケリブによってエルサレムは滅亡直前までいった。しかし、インマヌエル、神がともにおられるので、侵略は、ならない。アッシリヤの侵略が、どんなに猛威的であっても、限界がある。

神がともにいるところ・・・7:4(気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはなりません)
インマヌエル故に。。。

V11・・・親エジプト派から、謀反と呼ばれたイザヤ
     反アッシリヤ同盟から共感派と呼ばれたイザヤ・・・・いずれも一線を引いた
V13-15・・・神を聖いとする、これを認める者は義人の道(即ち守りと救いの保障、助けの保障を得る)、拒む者は       罪人の道(破壊と滅びの道)
V16・・・この時代にイザヤは拒まれた。未来の為に御言葉を封印する

イザヤ(主は救い)の信仰告白・・・裁きを超え、主の救いに望みをかけている
V21・・・拒む人、悔改めない人の人生はもっと悪くなる

①ユダを愛する神はイザヤを通して警告と戒めを送り、悔改めるように強く迫った。それはアッシリヤの侵略の預言でもあった。
②人々は、神に依り頼まず、アッシリヤに頼った。
③選択の過ち、でもそれがならない、インマヌエル、神がともにおられるから(理由)
④イザヤはどうか?  6章でイザヤの召しを見る、即ち、生ける神に会った。自分が分かった、罪がある、悔改め、罪をきよめてもらった。川でおぼれるものを救命隊員がボートで救うように。自分で出来ない。義人の生き方。神に全てがあることが分かった。イザヤと家族は、裁きのとき、救いのしるしとなった。人々が神のことばがここにあるのに、霊媒、口寄せに行く。不信仰に満ちていた時代に、イザヤと家族は、神を恐れ、神に全てをより頼み、御言葉に聞き従った。精一杯の立ち方だった。全財産を売り払ってでも買う真珠のような輝き

生ける神に会うこと→自分を知ること→罪を知ること→義人の道を知ること

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続けて、カウンセリング・セミナー

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10月のクルセードを前に、決起祈祷会とカウンセリング・セミナーが、ナザレン教会とベテル教会でありました。
サン師を迎えて、自ら、熊本の牧師たちを励まし奮い立たせて下さっています。

写真は、サン師と通訳のロバート・ケイラー師、信愛教会の長尾師です。
牧師たちを中心に、信徒リーダーたち、35名ほどが、セミナーで学びました。

大会委員長や事務局、財務、顧問、相談役と内部、外部にわたって、それぞれが役割分担して仕えて下さっています。
すごいことですね!

ベテルの青年たちが、喜んで仕えてくれるのも、本当に美しいです。
いつでも、どこでも、何でも、命じられたら出来るように準備していようね。
今回も用いられ、仕える機会に、沢山の目の覚めるような学びがありましたね!

筆談、御疲れ様!
勿論、賛美奉仕も!
受付、案内も、、、。
綺麗な花々も、
御茶もお菓子も、、、。

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熊本県教会連合聖歌隊

日々、激しくいろんなことがあって、ブログにアップできないまま、本当にすみません。
体力が問題です。

サン師伝道集会の為に、教会連合の聖歌隊が出来ました。第1回練習風景です。
100名の隊員をということです。

60名弱が集まりました。
どうぞ、教会を通して聖歌隊に御登録下さい。084_009

大津教会の吉岡師が導いてくださいます。
第2回目は5月18日午後3時半からです。

場所は、大津教会とベテル教会の交互になります。
各教会でも、10月に合わせて、練習してくださいね!

写真には写っていませんが、向かって右手には、テナー、バスの男性軍がおられます。
 「主の祈り」「主イエスの光」
 二曲が4声、2声で会堂に響き渡りました。

 楽しみです。


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もう一つの実を望まれ

 主から選ばれて
 この世に植えられた
 一つの実を望まれ

 ありがとう 気付いてなかった
 どれほど 愛されているのか
 初めから 今まで 神の愛は
 いつも 注がれていたこと

 
 ありがとう その愛 教えてくれた
 主から 与えられた君に
 キリストの愛で もっと 仕え
 私も この世に仕えよう
 

 君は 愛されるため
 そして その愛 伝えるため
 主から選ばれて この世に 植えられた
 もう一つの実を望まれ

 
 2008年の誕生日、青年たちが歌ってくれた、踊ってくれた歌。祝福の歌。
 まさか、こんなに若い青年たちと時間を共有するとは思ってもなかった。
 どんどん学びを吸収して、御言葉と祈りと実践に遣わされる様になった彼ら。
 主に用いられることを祈り続けたい、支え続けたい。

 唯、感謝一杯で、、、。

 

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Nさんの証

一粒の麦が死んで、豊かな実を結ぶ事の実証。
主だけを仰いで、主だけを喜び、救いの確信、初めの愛を貫き通した友人の証。

誰もが考えてもいなかった、逆転劇

あなたは、天に属する者か?  地に属する者か?
このこと、あのことは、主に属する物か、地に属する物か?

天と地、見えないものと見えるもの、霊眼と肉眼で二つを見ながら、分別していきたい。

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雑感

人は信じる対象ではなく、愛する対象である。

若いとき、この言葉は、厳しい言葉だと思い、心にしまいこんで聞きませんでした。
いろんな人に裏切られ、自分も、いろんな人を裏切り、今は、この言葉は自戒の言葉。
神学の教師、金相福牧師の講義でいただいた言葉です。

鼻から息する人間を頼りにするな!はいっ!

昼は雲、夜は煙と燃える火の輝きを創造される。それは全ての栄光の上に、おおいとなり、仮庵となり、昼は暑さを避ける陰となり、あらしと雨を防ぐ避け所と隠れ家になるからだ。

嬉しい、唯嬉しい。
偉大な神ご自身が、イエス・キリストとなり、私を覆うおおいとなってくださった。
私の人生が私の物でなく、私の時間が私の物でなく、私の賜物が私の物でない、、、。なんという恵みと平安。

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主が私のシェルターです~イザヤ4章から

イザヤを通して、主が、ユダとエルサレムを叱って責めている。主によって大切に育てられた国民だった。彼らは、不道徳で、法的正義も守られず、無政府状態。しかし、宗教熱心。信仰の空洞化が進んで、儀式や伝統が出っ張ってくる。儀式と見せかけ・・・これが慢性病、死に至る病。病識がないので、厄介。
神は、こんな礼拝に飽きた、耐えられない、重荷で疲れ果てた、と。「来たれ、論じ合おう」(1:18)と言う。ここに、喜んで聞く者、拒む者がある。良いもので養われる者、剣に飲まれる者がある。

神の心は、エルサレムは神の家、人々が御言葉を聞きに上ってくるところ、神の山になることでしたが、現状は、占い、拝金主義、偶像崇拝、、。終りの日、神の裁きによる艱難が襲いかかって全てが低くされ、主御一人だけが高められる。鼻で息をする人間を頼りにするな(2:22)
人間とは、信じる対象ではなく、愛する対象です。人は人を裏切り傷つけ失望させるものです。
病院にいると、人間の弱さを徹底的に見せ付けられます。昨日の新聞記事では、トラックのタイヤが激突してきてバスのドライバーが死んでいます。どうやってバスを止めたのかと、ぞーとしました。
3章を見ると、エルサレム、ユダから、支えと頼りを除かれる。即ち、パンと水、勇士と戦士、裁き司と預言者、占い師、長老、50人隊の長、高官、議官、細工人、まじない、・・・人々がこれらに頼り、安穏としていたことを知ることが出来る。
リーダーがいないので、社会的混乱状態がやってきます。そんな中で高ぶった女たちの全ての飾り物は除かれ、良い香りは腐ったにおい、帯びは縄、晴れ着は腰巻、美しさは焼け傷になり、男たちは戦いに倒れて死んでいきます。原因は、彼らの舌と行いとが主にそむき、主のご威光に逆らったから。

4章の本文は、7人の女が1人の男にすがりつく。(4:1) 花嫁料を払って娶る、当時の習慣でしたが、それどころではなく、めちゃくちゃな状態でした。本来男性に与えられた家庭におけるリーダーシップ、社会や政治におけるそれも、全部失墜状態です。
そんな状況の中で、まことの神、まことに頼れるもの、命がけで自分を守り、セキュリテイを与え、名誉を回復させてくれるものを激しく求めていくようになる。2節、主の若枝とは、イエスキリストのことです。メシア預言の一つです。エルサレムはバビロンによって滅ぼされますが、これから後、世の終りに世界の軍隊によって滅ぼされるようになる。その時、まことの神をあがめ信じて残された者たちは聖と呼ばれるようになる、命の書にその名を記された者である。裁きの霊、焼き尽くす霊、即ち聖霊によって、汚れを洗われ、きよめられる。
各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価を試す。(1コリ3:13)
あなたが立てた建物は火の中を残るでしょうか?

きよめられたエルサレムに、主ご自身が、昼は雲、夜は煙と燃える火の輝きを創造され、覆いとなる。
地球を覆うオゾン層のように。
結婚して私たちが知るのは、人が人を満たすことが出来ず、二人で一致しなければ、神は語られないと言うことでした。結婚生活の責任は先ず夫に問われます。リーダーとして立てたからです。夫たちには主という素晴らしいリーダー、メンターが与えられています。妻は輝いていますか? 主イエスキリストを中心に、互いに聞きあい、分かち合い、励まし合い、戒めあうことができますように。愛し合い、仕えあうことが出来ますように。主はまことに私が頼るべきお方、暑さを避ける陰、嵐を防ぐ避け所、隠れ家。この方に聞き従う時、あなたはまことの飾り、まことの守り、養いを受けることが出来ます。聞き従うことは、いけにえにまさる。

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S.G、ASKの報告を読んで

「もう、私たちは出て行くときだ!」

心が大きく揺れました。
そう、祈ること、御言葉を学び思い巡らすこと、デボーションや通読、そして、祈り会では、知性で祈ることも、異言で御霊にあって祈ることも、霊歌を歌うことも、どうやって、解放されるかも、ねんごろにねんごろに教え導いてきました。
そう、出て行くとき、あなたが流す時、あなたが愛する時です。

光のあるうちに、光のあるうちに、、、。

祈るのは祈るためではなく、聖書を学ぶのは学ぶためではなく、礼拝を捧げるのは、礼拝を捧げるためではないのです。

心が大きく揺れ動いています。

行って、福音を宣べ伝え、父と子と聖霊の御名によって洗礼を授け、私があなた方に教えたことを、彼らにも教えなさい。

主の語りかけが、胸いっぱいに響き渡っています。

「誰を遣わそう。誰が、われわれの為に行くだろう」
「ここに、私がおります。私を遣わして下さい。」(
イザヤ6章)

大好きな青年たち!
福音を携え、出て行こう。
ダンスをもって出て行こう、紙芝居ももって出て行こう、サッカーボールも持って出て行こう。

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霊とまことをもって、神を礼拝する

主日・・・私たちの祝福のために定められた日

 ・安息日(土曜日):神が天地を創造されて休まれた日(創2:2) → 旧約時代
 ・主 日(日曜日):主が復活されることによって私たちの救いが完成された日
       (ヨハネ20:1;Ⅰコリント16:2;黙1:10) → 教会時代

1.主日を守る理由 (マルコ2:27)      
・肉的生活の単位:1日 → 夕食を済ませ休むことで1日が始まる(創1:5)。
・霊的生活の単位:1週間 → 主日(初日)に礼拝を捧げ、休むことで1週間
の生活が始まる(使徒20:7)。
・肉体的:休み(創2:1)、健康を維持して回復し、さらに生活の能率を上げることができる。
・精神的:家族、隣人と交わることによって慰労と喜びを得る(ピリピ1:5)。
・霊 的:聖霊が感化と御言葉によって霊性が新しくなって成長する(ヨハネ4:24)。

2.礼拝の意味
⇒礼拝と言うのは“頭を下げて礼拝する”という意味で、聖徒たちにだけ与えられた地上で最も高尚な人間の行為である(ヨハネ4:23)。

3.礼拝の内容
⇒賛美:救われた聖徒と天使(被造物)が神にささげる感謝の応答として(エペソ5:19)、 祈り、証し、賛美、御言葉が含まれている。賛美は天国でも永遠に継続される(黙5)
⇒祈り:救いを感謝して自分自身の罪を告白し、必要なものを切に求めて隣人と国のために祈らなければならない。 
⇒説教(御言葉):恵みの御言葉を聞いて、自分自身の過ちを悟り悔い改め、慰さめられ、再献身することを決心する(イザヤ6:5-8)。    
⇒献金(献物):献身と感謝の表示で神が与えてくださった所得の中で一部をささげる(マタイ23:23;ロマ12:1)。                                
⇒洗礼:主の命令に従ってバプテスマと聖餐式に参加する(マタイ28:19;ルカ22:19)。                            
⇒祝祷(祝福):神の愛、イエスの恵み、聖霊の感化が共にあることを祝福し祈る(Ⅱコリント13:13)。          

4.礼拝に参席する時の注意点
⇒礼拝は説教や音楽を聞いて人に会ったり、見学しに来るところではなく、私たちを招かれて、救われる神に対する全人格的な応答でなければならない。
⇒神は真心から礼拝をささげる者を捜しておられる(ヨハネ4:23)→ 礼拝が始まる前に心の準備をすること

この日本に、霊とまことを持って、全人格で神に応答の礼拝捧げる、まことの生きた礼拝者が満ちるように! 教会が霊感あふれる生きた礼拝を、力いっぱい捧げ続けることが出来るように!
神の愛、豊かな偉大な愛、流れてあふれて、覆われた日本を洗い清めよ!

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鼻で息をする人間を頼りにするな

イザヤが見た幻    イザヤ1:1-9    

旧約聖書には17巻の預言書がある。著者は16人。イザヤは預言者の王子(プリンス)と呼ばれる。新約のパウロのような存在。王室と密接な関係があり、詩人でもあった。豊かな語彙力、想像力あふれ、美しい文体などが特徴。妻も預言者、二人以上の子供がいた。イザヤという名前の意味は、「主は救いである」「救われるのは唯、主から」という意味。ヨナ、アモス、ホセア、ミカと同時代の人。イザヤは40年という長期に亘って預言者としての働きをした。

預言は、注意して!!! 聞く、吟味して聞く。
預言について・・・神様が選んだ人を通して神の御旨を啓示した。その啓示を宣布する人が預言者。メッセージだけした預言者もいた。


イザヤ書は約2700年前の書物。1-39章、40-66章に分かれる。36-39章にユダの王ヒゼキヤの話があり、つなぎになっている。
1-12章・・・ユダとエルサレムに対する神の懲らしめ
13章・・・バビロンに対する宣告
14:25-23章・・・アッシリヤに対する宣告
24章―地球全体に対する神の裁き
40-66章・・・慰めと回復

ユダとエルサレムについて、と記されている。神の注目はイスラエル・・・創世記は天地創造、その後はイスラエルの歴史の始まり、その個人の歴史について。出エジプトでは、イスラエルと言う小さな国にのみ焦点、その生活の細部にいたるまで、神は御自身の御心をイスラエルに示す。
しかし、イスラエルは忘れた。牛、ロバ以下だ。人はいつ親を忘れ、恩を忘れるか?
物質的経済的繁栄に酔いしれる時。順調な時、礼拝が形式になり、心からの愛と感動、感激がなくなる。
あるいはものすごいパニックの時、あまりにも苦しい時、、、
どっちも、避けたい。主よ、乗り越えることの出来る苦難を、苦しすぎず、そして、順調すぎることがないように!
人生、いろんなことがあった。困難を乗り越えさせてくださり、順調な時は、戒めて下さった。
歴史のヒーローがイエス・キリストであり、人生の主人公が神であることのなんと言う恵み、感謝であろうか?!
生かされ生きる毎日のなんと素晴らしいことか?
私と言う十字架を負っていてくださる主のなんとありがたいことか?

アッシリヤの脅威の中で、ユダはエジプトと同盟を結ぼうとしている。神に依り頼まない。
預言者は何を語るのか?
①神について、霊的な指摘②審判、裁きを語り悔改め③慰め、励まし④将来的国家的事件、降臨、再臨

イザヤ書が書かれて、2700年、しかし、神にとって千日は一日の如し。
4節・・・ああ、国・民・子孫・子等、神に対して罪、咎は他者に、公正、正義を犯すと悪行(再臨を待望する生き方はたゆまず善行)、堕落とは、基準を落としたということか。多くの人々は完全に基準を落としている。
主を捨て(主への献身を捨て)、侮り(神の感情を害し、神の御心にかなわない)、離れ去った(神に無関心)
5節・・・神様を傷つけ、自分自身も痛めている。頭、心臓とは、精神的、感情的傷の深さを表し、命取り。
しかし、イスラエルを子とされた神は残りの民を、少しの生き残りのものを残された。神を敬う残りの民ゆえに民全体が滅ぼされない。
この地、この国に教会が残されてあると言うことの意味を改めて発見しました。

イザヤの見た幻を見てください、イザヤの叫びを聞いて下さい。
今、あなたは神に対してどんな習慣を持っているか?
考え方、感情、言葉、態度
成功は習慣です。失敗は習慣です。成功する人は成功する道を行き、失敗する人は、残念ですが、失敗する道を行く。小さな判断の積み重ねが習慣を形作っていきます。性格はいろいろあるでしょう。でも、神の民は神の御言葉に依り頼み、悔改めて、向きを変え、古い自分に死んで、新しい人を着るべきです。これは自己訓練ですから、だれも代わってすることは出来ません。聖霊の満たしを受け、力を受け、神に依り頼む小さな習慣を反復してください。

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