5月霊性セミナーお知らせ(再)

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講師プロフィール;李ヨナ師

ソウルの延世(ヨンセ)大学卒業
バプテスト神学大学院、キリスト教教育学修了
アメリカのValporaiso 大学院卒業
アメリカ霊性訓練院講師
韓国霊性訓練院講師
霊性牧会クリニック講師
ソンドサンソン教会教役者

熊本ベテル教会 5月の霊性セミナー
5月2日(金);午後7時~、生きる理由
5月3日(土);午後2時~、苦難の理由
5月3日(土);午後7時~、苦難の祝福
5月4日(日);午前10時半~、唯一の道

李ヨナ師は、アメリカのインディアナ州で、夫と開拓牧会をしていましたが、父、李天秀牧師の病の為に韓国に帰国。サンソン教会の助けをし、現在は、近くの新都市で新しく開拓牧会をされています。李天秀師と共に、国内外において、預言、異言通訳、霊性診断、相談で用いられています。

韓国において毎週木曜日、牧会者向け(超教派)の講義をしておられ、私も300人ぐらいの牧師たちと共に聴講しましたが、見えない世界を、聖書と御霊にあって、クリヤに解き明かしてくださいます。すごく切れ味がいいので、ちょっと怖いのですが、さらに優れた愛の持ち主らしく、今回も、通訳が楽しみです。主が私を憐れんでくださるように祈っています。

今回のセミナーを通して、教会の信仰成長、御言葉の理解力が増し加わり、堅固な教会として、さらに建て上げられることを期待し祈りで備えたいと思います。

主にある成長、成熟、問題解決を願われる方はどなたでもお越し下さい。必ずあなたの人生に驚くべき有益がもたらされます。

キリストの愛を、神の愛を、あなたが実感するセミナーとなりますように!

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いよいよ、明日27日は草枕温泉広場で、BBQパーテイです!

 
待ちに待った野外でのBBQパーテイです。
昨年も、広場までの道々、さくらんぼを摘みながら、歓声をあげての交わりでした。
参加費は、愛餐献金でお捧げ下さい。

エリヤ2.0と有志が、早朝より、おにぎり、御茶の準備をします。

BBQの後は、青年たちがゲームを準備しています。
楽しみに、御参加下さい。

準備の都合上、参加は事前の予約を入れてくださいね!

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庭の花々~ハナミズキ、つる紫、シモツケ

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花壇の花を見つめる。
幼い時から、いけばなに通い、一時は花を生けたり、教えたりを仕事にしていた。
昔、住んだ一軒家には、どこでも花や枝ものを植えた。クリスマス・ローズや、都忘れ、千両や万両、ハランや水仙、雪柳、ボケの花、もくれんや桜も、、、。裏庭の暗いところにはすずらんも。
結婚してからは、マミ・フラワーに出会い、これも本当に楽しんだ。友人と花のデリバリーをしようとたくらんだこともあったなー。
庭では、幼い子供たちと年中、パン生地を醗酵、こねて叩いて焼いて、パンの香り充満な中、食べた。友人にも配って歩いた。ケーキばっかり焼いていた時は、喫茶店に頼まれたりもした。
子供を寝かせて、近所の高校生に英語を教えた。良く教えられたと今でも思う。近所の主婦や大学生、子供たちにハングルを教え、韓国にアメリカに連れて行ったこともある。予備校や幼稚園の経営を頼まれたりもした。

いい時代だった。たくさんの友人たちと、良く語り、良く食べ、良く遊んだ。良く学んだ。

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私は主を待つ(イザヤの信仰)~イザヤ8章   

メッセージ・メモから
ウジヤ王からヨタム王、アハズ王へ
アハズは神を信じない、イザヤの警告に耳を傾けない

神は、アッシリヤを呼ばれ、ユダの侵略を赦し、ユダを戒める。
BC701年、アッシリヤ王セナケリブによってエルサレムは滅亡直前までいった。しかし、インマヌエル、神がともにおられるので、侵略は、ならない。アッシリヤの侵略が、どんなに猛威的であっても、限界がある。

神がともにいるところ・・・7:4(気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはなりません)
インマヌエル故に。。。

V11・・・親エジプト派から、謀反と呼ばれたイザヤ
     反アッシリヤ同盟から共感派と呼ばれたイザヤ・・・・いずれも一線を引いた
V13-15・・・神を聖いとする、これを認める者は義人の道(即ち守りと救いの保障、助けの保障を得る)、拒む者は       罪人の道(破壊と滅びの道)
V16・・・この時代にイザヤは拒まれた。未来の為に御言葉を封印する

イザヤ(主は救い)の信仰告白・・・裁きを超え、主の救いに望みをかけている
V21・・・拒む人、悔改めない人の人生はもっと悪くなる

①ユダを愛する神はイザヤを通して警告と戒めを送り、悔改めるように強く迫った。それはアッシリヤの侵略の預言でもあった。
②人々は、神に依り頼まず、アッシリヤに頼った。
③選択の過ち、でもそれがならない、インマヌエル、神がともにおられるから(理由)
④イザヤはどうか?  6章でイザヤの召しを見る、即ち、生ける神に会った。自分が分かった、罪がある、悔改め、罪をきよめてもらった。川でおぼれるものを救命隊員がボートで救うように。自分で出来ない。義人の生き方。神に全てがあることが分かった。イザヤと家族は、裁きのとき、救いのしるしとなった。人々が神のことばがここにあるのに、霊媒、口寄せに行く。不信仰に満ちていた時代に、イザヤと家族は、神を恐れ、神に全てをより頼み、御言葉に聞き従った。精一杯の立ち方だった。全財産を売り払ってでも買う真珠のような輝き

生ける神に会うこと→自分を知ること→罪を知ること→義人の道を知ること

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続けて、カウンセリング・セミナー

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10月のクルセードを前に、決起祈祷会とカウンセリング・セミナーが、ナザレン教会とベテル教会でありました。
サン師を迎えて、自ら、熊本の牧師たちを励まし奮い立たせて下さっています。

写真は、サン師と通訳のロバート・ケイラー師、信愛教会の長尾師です。
牧師たちを中心に、信徒リーダーたち、35名ほどが、セミナーで学びました。

大会委員長や事務局、財務、顧問、相談役と内部、外部にわたって、それぞれが役割分担して仕えて下さっています。
すごいことですね!

ベテルの青年たちが、喜んで仕えてくれるのも、本当に美しいです。
いつでも、どこでも、何でも、命じられたら出来るように準備していようね。
今回も用いられ、仕える機会に、沢山の目の覚めるような学びがありましたね!

筆談、御疲れ様!
勿論、賛美奉仕も!
受付、案内も、、、。
綺麗な花々も、
御茶もお菓子も、、、。

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熊本県教会連合聖歌隊

日々、激しくいろんなことがあって、ブログにアップできないまま、本当にすみません。
体力が問題です。

サン師伝道集会の為に、教会連合の聖歌隊が出来ました。第1回練習風景です。
100名の隊員をということです。

60名弱が集まりました。
どうぞ、教会を通して聖歌隊に御登録下さい。084_009

大津教会の吉岡師が導いてくださいます。
第2回目は5月18日午後3時半からです。

場所は、大津教会とベテル教会の交互になります。
各教会でも、10月に合わせて、練習してくださいね!

写真には写っていませんが、向かって右手には、テナー、バスの男性軍がおられます。
 「主の祈り」「主イエスの光」
 二曲が4声、2声で会堂に響き渡りました。

 楽しみです。


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もう一つの実を望まれ

 主から選ばれて
 この世に植えられた
 一つの実を望まれ

 ありがとう 気付いてなかった
 どれほど 愛されているのか
 初めから 今まで 神の愛は
 いつも 注がれていたこと

 
 ありがとう その愛 教えてくれた
 主から 与えられた君に
 キリストの愛で もっと 仕え
 私も この世に仕えよう
 

 君は 愛されるため
 そして その愛 伝えるため
 主から選ばれて この世に 植えられた
 もう一つの実を望まれ

 
 2008年の誕生日、青年たちが歌ってくれた、踊ってくれた歌。祝福の歌。
 まさか、こんなに若い青年たちと時間を共有するとは思ってもなかった。
 どんどん学びを吸収して、御言葉と祈りと実践に遣わされる様になった彼ら。
 主に用いられることを祈り続けたい、支え続けたい。

 唯、感謝一杯で、、、。

 

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Nさんの証

一粒の麦が死んで、豊かな実を結ぶ事の実証。
主だけを仰いで、主だけを喜び、救いの確信、初めの愛を貫き通した友人の証。

誰もが考えてもいなかった、逆転劇

あなたは、天に属する者か?  地に属する者か?
このこと、あのことは、主に属する物か、地に属する物か?

天と地、見えないものと見えるもの、霊眼と肉眼で二つを見ながら、分別していきたい。

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雑感

人は信じる対象ではなく、愛する対象である。

若いとき、この言葉は、厳しい言葉だと思い、心にしまいこんで聞きませんでした。
いろんな人に裏切られ、自分も、いろんな人を裏切り、今は、この言葉は自戒の言葉。
神学の教師、金相福牧師の講義でいただいた言葉です。

鼻から息する人間を頼りにするな!はいっ!

昼は雲、夜は煙と燃える火の輝きを創造される。それは全ての栄光の上に、おおいとなり、仮庵となり、昼は暑さを避ける陰となり、あらしと雨を防ぐ避け所と隠れ家になるからだ。

嬉しい、唯嬉しい。
偉大な神ご自身が、イエス・キリストとなり、私を覆うおおいとなってくださった。
私の人生が私の物でなく、私の時間が私の物でなく、私の賜物が私の物でない、、、。なんという恵みと平安。

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主が私のシェルターです~イザヤ4章から

イザヤを通して、主が、ユダとエルサレムを叱って責めている。主によって大切に育てられた国民だった。彼らは、不道徳で、法的正義も守られず、無政府状態。しかし、宗教熱心。信仰の空洞化が進んで、儀式や伝統が出っ張ってくる。儀式と見せかけ・・・これが慢性病、死に至る病。病識がないので、厄介。
神は、こんな礼拝に飽きた、耐えられない、重荷で疲れ果てた、と。「来たれ、論じ合おう」(1:18)と言う。ここに、喜んで聞く者、拒む者がある。良いもので養われる者、剣に飲まれる者がある。

神の心は、エルサレムは神の家、人々が御言葉を聞きに上ってくるところ、神の山になることでしたが、現状は、占い、拝金主義、偶像崇拝、、。終りの日、神の裁きによる艱難が襲いかかって全てが低くされ、主御一人だけが高められる。鼻で息をする人間を頼りにするな(2:22)
人間とは、信じる対象ではなく、愛する対象です。人は人を裏切り傷つけ失望させるものです。
病院にいると、人間の弱さを徹底的に見せ付けられます。昨日の新聞記事では、トラックのタイヤが激突してきてバスのドライバーが死んでいます。どうやってバスを止めたのかと、ぞーとしました。
3章を見ると、エルサレム、ユダから、支えと頼りを除かれる。即ち、パンと水、勇士と戦士、裁き司と預言者、占い師、長老、50人隊の長、高官、議官、細工人、まじない、・・・人々がこれらに頼り、安穏としていたことを知ることが出来る。
リーダーがいないので、社会的混乱状態がやってきます。そんな中で高ぶった女たちの全ての飾り物は除かれ、良い香りは腐ったにおい、帯びは縄、晴れ着は腰巻、美しさは焼け傷になり、男たちは戦いに倒れて死んでいきます。原因は、彼らの舌と行いとが主にそむき、主のご威光に逆らったから。

4章の本文は、7人の女が1人の男にすがりつく。(4:1) 花嫁料を払って娶る、当時の習慣でしたが、それどころではなく、めちゃくちゃな状態でした。本来男性に与えられた家庭におけるリーダーシップ、社会や政治におけるそれも、全部失墜状態です。
そんな状況の中で、まことの神、まことに頼れるもの、命がけで自分を守り、セキュリテイを与え、名誉を回復させてくれるものを激しく求めていくようになる。2節、主の若枝とは、イエスキリストのことです。メシア預言の一つです。エルサレムはバビロンによって滅ぼされますが、これから後、世の終りに世界の軍隊によって滅ぼされるようになる。その時、まことの神をあがめ信じて残された者たちは聖と呼ばれるようになる、命の書にその名を記された者である。裁きの霊、焼き尽くす霊、即ち聖霊によって、汚れを洗われ、きよめられる。
各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価を試す。(1コリ3:13)
あなたが立てた建物は火の中を残るでしょうか?

きよめられたエルサレムに、主ご自身が、昼は雲、夜は煙と燃える火の輝きを創造され、覆いとなる。
地球を覆うオゾン層のように。
結婚して私たちが知るのは、人が人を満たすことが出来ず、二人で一致しなければ、神は語られないと言うことでした。結婚生活の責任は先ず夫に問われます。リーダーとして立てたからです。夫たちには主という素晴らしいリーダー、メンターが与えられています。妻は輝いていますか? 主イエスキリストを中心に、互いに聞きあい、分かち合い、励まし合い、戒めあうことができますように。愛し合い、仕えあうことが出来ますように。主はまことに私が頼るべきお方、暑さを避ける陰、嵐を防ぐ避け所、隠れ家。この方に聞き従う時、あなたはまことの飾り、まことの守り、養いを受けることが出来ます。聞き従うことは、いけにえにまさる。

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S.G、ASKの報告を読んで

「もう、私たちは出て行くときだ!」

心が大きく揺れました。
そう、祈ること、御言葉を学び思い巡らすこと、デボーションや通読、そして、祈り会では、知性で祈ることも、異言で御霊にあって祈ることも、霊歌を歌うことも、どうやって、解放されるかも、ねんごろにねんごろに教え導いてきました。
そう、出て行くとき、あなたが流す時、あなたが愛する時です。

光のあるうちに、光のあるうちに、、、。

祈るのは祈るためではなく、聖書を学ぶのは学ぶためではなく、礼拝を捧げるのは、礼拝を捧げるためではないのです。

心が大きく揺れ動いています。

行って、福音を宣べ伝え、父と子と聖霊の御名によって洗礼を授け、私があなた方に教えたことを、彼らにも教えなさい。

主の語りかけが、胸いっぱいに響き渡っています。

「誰を遣わそう。誰が、われわれの為に行くだろう」
「ここに、私がおります。私を遣わして下さい。」(
イザヤ6章)

大好きな青年たち!
福音を携え、出て行こう。
ダンスをもって出て行こう、紙芝居ももって出て行こう、サッカーボールも持って出て行こう。

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霊とまことをもって、神を礼拝する

主日・・・私たちの祝福のために定められた日

 ・安息日(土曜日):神が天地を創造されて休まれた日(創2:2) → 旧約時代
 ・主 日(日曜日):主が復活されることによって私たちの救いが完成された日
       (ヨハネ20:1;Ⅰコリント16:2;黙1:10) → 教会時代

1.主日を守る理由 (マルコ2:27)      
・肉的生活の単位:1日 → 夕食を済ませ休むことで1日が始まる(創1:5)。
・霊的生活の単位:1週間 → 主日(初日)に礼拝を捧げ、休むことで1週間
の生活が始まる(使徒20:7)。
・肉体的:休み(創2:1)、健康を維持して回復し、さらに生活の能率を上げることができる。
・精神的:家族、隣人と交わることによって慰労と喜びを得る(ピリピ1:5)。
・霊 的:聖霊が感化と御言葉によって霊性が新しくなって成長する(ヨハネ4:24)。

2.礼拝の意味
⇒礼拝と言うのは“頭を下げて礼拝する”という意味で、聖徒たちにだけ与えられた地上で最も高尚な人間の行為である(ヨハネ4:23)。

3.礼拝の内容
⇒賛美:救われた聖徒と天使(被造物)が神にささげる感謝の応答として(エペソ5:19)、 祈り、証し、賛美、御言葉が含まれている。賛美は天国でも永遠に継続される(黙5)
⇒祈り:救いを感謝して自分自身の罪を告白し、必要なものを切に求めて隣人と国のために祈らなければならない。 
⇒説教(御言葉):恵みの御言葉を聞いて、自分自身の過ちを悟り悔い改め、慰さめられ、再献身することを決心する(イザヤ6:5-8)。    
⇒献金(献物):献身と感謝の表示で神が与えてくださった所得の中で一部をささげる(マタイ23:23;ロマ12:1)。                                
⇒洗礼:主の命令に従ってバプテスマと聖餐式に参加する(マタイ28:19;ルカ22:19)。                            
⇒祝祷(祝福):神の愛、イエスの恵み、聖霊の感化が共にあることを祝福し祈る(Ⅱコリント13:13)。          

4.礼拝に参席する時の注意点
⇒礼拝は説教や音楽を聞いて人に会ったり、見学しに来るところではなく、私たちを招かれて、救われる神に対する全人格的な応答でなければならない。
⇒神は真心から礼拝をささげる者を捜しておられる(ヨハネ4:23)→ 礼拝が始まる前に心の準備をすること

この日本に、霊とまことを持って、全人格で神に応答の礼拝捧げる、まことの生きた礼拝者が満ちるように! 教会が霊感あふれる生きた礼拝を、力いっぱい捧げ続けることが出来るように!
神の愛、豊かな偉大な愛、流れてあふれて、覆われた日本を洗い清めよ!

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鼻で息をする人間を頼りにするな

イザヤが見た幻    イザヤ1:1-9    

旧約聖書には17巻の預言書がある。著者は16人。イザヤは預言者の王子(プリンス)と呼ばれる。新約のパウロのような存在。王室と密接な関係があり、詩人でもあった。豊かな語彙力、想像力あふれ、美しい文体などが特徴。妻も預言者、二人以上の子供がいた。イザヤという名前の意味は、「主は救いである」「救われるのは唯、主から」という意味。ヨナ、アモス、ホセア、ミカと同時代の人。イザヤは40年という長期に亘って預言者としての働きをした。

預言は、注意して!!! 聞く、吟味して聞く。
預言について・・・神様が選んだ人を通して神の御旨を啓示した。その啓示を宣布する人が預言者。メッセージだけした預言者もいた。


イザヤ書は約2700年前の書物。1-39章、40-66章に分かれる。36-39章にユダの王ヒゼキヤの話があり、つなぎになっている。
1-12章・・・ユダとエルサレムに対する神の懲らしめ
13章・・・バビロンに対する宣告
14:25-23章・・・アッシリヤに対する宣告
24章―地球全体に対する神の裁き
40-66章・・・慰めと回復

ユダとエルサレムについて、と記されている。神の注目はイスラエル・・・創世記は天地創造、その後はイスラエルの歴史の始まり、その個人の歴史について。出エジプトでは、イスラエルと言う小さな国にのみ焦点、その生活の細部にいたるまで、神は御自身の御心をイスラエルに示す。
しかし、イスラエルは忘れた。牛、ロバ以下だ。人はいつ親を忘れ、恩を忘れるか?
物質的経済的繁栄に酔いしれる時。順調な時、礼拝が形式になり、心からの愛と感動、感激がなくなる。
あるいはものすごいパニックの時、あまりにも苦しい時、、、
どっちも、避けたい。主よ、乗り越えることの出来る苦難を、苦しすぎず、そして、順調すぎることがないように!
人生、いろんなことがあった。困難を乗り越えさせてくださり、順調な時は、戒めて下さった。
歴史のヒーローがイエス・キリストであり、人生の主人公が神であることのなんと言う恵み、感謝であろうか?!
生かされ生きる毎日のなんと素晴らしいことか?
私と言う十字架を負っていてくださる主のなんとありがたいことか?

アッシリヤの脅威の中で、ユダはエジプトと同盟を結ぼうとしている。神に依り頼まない。
預言者は何を語るのか?
①神について、霊的な指摘②審判、裁きを語り悔改め③慰め、励まし④将来的国家的事件、降臨、再臨

イザヤ書が書かれて、2700年、しかし、神にとって千日は一日の如し。
4節・・・ああ、国・民・子孫・子等、神に対して罪、咎は他者に、公正、正義を犯すと悪行(再臨を待望する生き方はたゆまず善行)、堕落とは、基準を落としたということか。多くの人々は完全に基準を落としている。
主を捨て(主への献身を捨て)、侮り(神の感情を害し、神の御心にかなわない)、離れ去った(神に無関心)
5節・・・神様を傷つけ、自分自身も痛めている。頭、心臓とは、精神的、感情的傷の深さを表し、命取り。
しかし、イスラエルを子とされた神は残りの民を、少しの生き残りのものを残された。神を敬う残りの民ゆえに民全体が滅ぼされない。
この地、この国に教会が残されてあると言うことの意味を改めて発見しました。

イザヤの見た幻を見てください、イザヤの叫びを聞いて下さい。
今、あなたは神に対してどんな習慣を持っているか?
考え方、感情、言葉、態度
成功は習慣です。失敗は習慣です。成功する人は成功する道を行き、失敗する人は、残念ですが、失敗する道を行く。小さな判断の積み重ねが習慣を形作っていきます。性格はいろいろあるでしょう。でも、神の民は神の御言葉に依り頼み、悔改めて、向きを変え、古い自分に死んで、新しい人を着るべきです。これは自己訓練ですから、だれも代わってすることは出来ません。聖霊の満たしを受け、力を受け、神に依り頼む小さな習慣を反復してください。

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5月のセミナー~講師プロフィール

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李ヨナ師

ソウルの延世(ヨンセ)大学卒業
バプテスト神学大学院、キリスト教教育学修了
アメリカのValporaiso 大学院卒業
アメリカ霊性訓練院講師
韓国霊性訓練院講師
霊性牧会クリニック講師
ソンドサンソン教会教役者

熊本ベテル教会 5月の霊性セミナー
5月2日(金);午後7時~、生きる理由
5月3日(土);午後2時~、苦難の理由
5月3日(土);午後7時~、苦難の祝福
5月4日(日);午前10時半~、唯一の道

李ヨナ師は、アメリカのインディアナ州で、夫と開拓牧会をしていましたが、父、李天秀牧師の病の為に韓国に帰国。サンソン教会の助けをし、現在は、近くの新都市で新しく開拓牧会をされています。李天秀師と共に、国内外において、預言、異言通訳、霊性診断、相談で用いられています。

韓国において毎週木曜日、牧会者向け(超教派)の講義をしておられ、私も300人ぐらいの牧師たちと共に聴講しましたが、見えない世界を、聖書と御霊にあって、クリヤに解き明かしてくださいます。すごく切れ味がいいので、ちょっと怖いのですが、さらに優れた愛の持ち主らしく、今回も、通訳が楽しみです。主が私を憐れんでくださるように祈っています。

今回のセミナーを通して、教会の信仰成長、御言葉の理解力が増し加わり、堅固な教会として、さらに建て上げられることを期待し祈りで備えたいと思います。

主にある成長、成熟、問題解決を願われる方はどなたでもお越し下さい。必ずあなたの人生に驚くべき有益がもたらされます。

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主イエスは、王として再び来られます!

1テサロニケ5:1-11  再臨について   

携挙;主が再臨される時、空中において、御自身の体であり、花嫁である教会を引き上げること

終末;マルコ13章5-32節より予兆を知る。偽キリストの出現、戦争・飢饉・地震、福音の全世界的宣教、荒らす憎むべき者の出現、かつて1度もなかった苦難、偽キリスト・偽預言者による奇跡、奇妙な天体現象

再臨;空中再臨、公式再臨と二段階。イエス・キリストの誕生は僕として、再臨は王としてくる。目的は、①キリストの花嫁、信徒を天に迎えるため ②罪の収拾のため ③イエスを拒否して拒んだ人々をその罪ゆえに裁くため

聖書解釈がたくさんあるが、解釈によって生きるのではなく、義人は信仰によって生きる。今日という日を、信仰で歩む。テサロニケ教会は迫害と苦難の中で、再臨の希望に生きた。

主の日(再臨、神の裁き)に備えて、適切な準備をしたい。主の日はいつなのか? どのように起こるのか?
夜中に忍び込んでくる盗人のように、警告なく突如として臨む。陣痛のようだ。でもこれは生みの苦しみなので、避けることが出来ない。必ずなければならない。
昼と夜、目を覚ましている者、眠っている者、しらふのものと酔っている者・・・昼の者、光の子として、ふさわしい行為をする事。

準備と警戒・・・慎み深い生き方、救いと愛の胸当て、救いの望みのかぶと 信仰・希望・愛という三重の恵みで武装しなさい。信仰は待つこと、希望は待つこと、愛は待つこと。待つことを放棄しない。夜が更けたから、光の武具を身に着けよう。

9節;神の定めは、キリストに在って救いを得させる
10節;主が死んでくださったのは、主と共に私たちが永遠を生きるため
11節;勧めと今私たちが取るべき行動・・・耐え忍ぶための確実な望み、主の再臨を確信する救いの確信、慰め、励まし合い、徳を高める、互いに成長するように助ける愛  *共同体の霊的成長、成熟を求めていく。愛によって働く信仰が大事だ(ガラテヤ5:6)

再臨がある(異端の罠にかかるな!)
①盗人のように来る・・・大事なことは再臨を信じて備えること
②目を覚まし、慎み深く生きる・・・自分から目を離し、主に目を上げ、主に聞く
③救いの為に召された・・・主だけが救いの道、救いの門

今は昼、働く時です。

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長女の卒業

Sotugyou

我が家では、はじめての社会人誕生!
勤務地への引越しも終わり、卒業前には、ゆっくりと話も出来ました。大学の2年時には、専攻のことで随分悩んだ彼女でしたが、とても充実した学窓生活だったようです。
いろんな方々との出会いの中で、生かされたと思い感謝で一杯です。
学業も頑張ったようで、悔いの残ることもやはりあるでしょうが、油断せず学びを生かして欲しいと思います。

社会は、そう生易しくはないでしょうが、その中で、さらに成長、成熟をと祈り続けたいと思います。

また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。外の人々に対しても立派に振舞うことが出来、また乏しいことがないようにするためです。1テサロニケ4:11

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マタイ28章

王であるキリスト   

イエスが十字架につけられた時おきたことを整理してみましょう。
全地が暗くなりました。3時間の暗闇は、のろいと刑罰の表現でした。主は十字架を前にあの壮絶な祈りにおいて勝利し、父なる神に徹底的に従われました。毒入りの杯を、蛆虫入りの杯を御存知で飲み干された。
大声で叫ばれました。(父よ我が霊を御手にゆだねます、完了した)、
神殿の幕が上から下まで真二つに裂け、
百人隊長は、「この方はまことに神の子だった」と告白、
遠くから眺めている多くの女たちがいる、イエスに仕えてガリラヤからついてきた女たち。
アリマタヤのヨセフはイエスの体の下げ渡しを願って、自分の新しい墓に納めた。決定的な瞬間に自分の信仰を証明する者となりました。
十字架の前で、さまざまなことが起こりました。
すべての弟子たちは逮捕されること、処刑されることを恐れて逃げ去りました。

本文で、二人のマリヤが墓に来ています。遺体に油を塗って手厚く葬るため。ガリラヤから、十字架まで、主の側を離れず、留まり続け、最後の瞬間まで目撃したのは、女たちでした。主は生前、繰り返し復活を預言されていましたが、しかし、彼女たちも、復活を信じていたのではなく、主を葬るために墓に来ました。唯、女たちの生きる理由、それは、主だった。何故、ここにいるのか? 何故、こんなことをしているのか? その理由が、イエスだった。空の墓は勝利の証拠でしたが、女たちはそこに主を捜しました。
墓で、御使いは女たちに語ります。復活の主も、出会ってくださいました。「おはよう」 女たちの応答は、礼拝でした。主との関係は、主の側にいること。主に何の野望も持たず、主が、病を癒すだけでなく、嵐を静めるだけでなく,誰も支配できない、誰も力を行使できない、難攻不落の城、死に勝利された、死を滅ぼした方である。死は日常、自然、復活は非日常、超自然。復活によって、天と地がつながった。人間イエスは、実にまことに神であり、王の王として礼拝を受ける方です。

番兵たちも、見た。でも信仰は生じない。お金で買収され、真理を事実を曲げてしまいます。見れば信じると言いますが、信仰は、聞くことによって、キリストについての言葉を聞くことによって生じるものです。
主は、御自身の身近に置くために弟子を呼ばれました。(マルコ3:14) 政治的期待感を抱いていた弟子たちは、すっかり失望しています。十字架は最悪の出来事でした。しかし、十字架は天と地をつなぐ唯一の道、希望、命です。私たちの弱さや勘違いを理解し、御自身が心を開いて語りかけ、愛を持って、命令して下さる。エルサレムを離れ、エマオへ下る道々、復活の主がクレオパに近づいて、聖書全体を語ってくれます。霊的な目が覆われ、閉ざされている中で、主は彼らの目を開き、見えるようにして下さいました。大切な、忘れてはならないことです。どんな谷間をさまよっていたとしても、主は生きておられ、私と共に歩み、助けておられることを悟らなくてはなりません。

「あらゆる国の人々を弟子としなさい」、弟子とする方法は、行く、洗礼、教える
出て行く(自分の常識、信念、枠組み)、悔い改める(主に敵対していたことを)、御言葉に、イエスに聞きいる、
生ける主の側にとどまること

本当に弟子たちとずっと共にいてくださる、これが聖霊降臨以来の出来事
主はあなたを尊んで、十字架を負って下さいました。あなたは主を同じくらい尊んでいますか?
イエスキリストは、復活なさった生ける神です。王である方、礼拝をお受けになる方です。

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ルカ22:39-53

誘惑に陥らないように祈っていなさい      

祈る姿が、あなたの自画像です。イエスの祈る姿は、イエスがどんなお方を語っています。いつも祈るお方。
「いつものように」とは、人生の一部だということ。主は祈りを知っておられる。どこで、誰に祈ったらいいのかを。
ルカ22章のイエスの祈りの姿は、あなたの生涯忘れることが出来ないでしょう。

人生の重要な出来事の前に
洗礼の時(3:21) 病人を癒す時(5:16) 12弟子を選ぶ時(6:12)  ペテロのメシヤ告白を導く時(9:18)     
変貌山の出来事(9:29)  弟子たちに祈りを教える時(11:1) 十字架上で(23:34,46)

祈りについての教え:11:5-8(求めなさい、、、) 18:1-8(いつでも祈るべきであり失望してはならない)

主は何のために祈られたのか? 十字架の苦難に向かって、捕まる寸前の出来事
①裏切り、試練、誘惑、苦難、理解されない、失恋、病、人間関係の破綻、、、誰でも弱くなり、孤独感で打ちのめされます。しかし祈るなら、主と交わり聖霊に圧倒されるなら、試練と苦難を乗り越える力を得る
②自分のありのままを認め、限界を差し出し、与えられた使命の前に謙遜になり、神に明け渡す、自分を徹底的に無にし、神の御計画に従順する。これが十字架の祈り。

十字架は何を意味しているか? 人には何も良いところがない、救われるための場所。
51節、主は力ある神であるにもかかわらず、ピリピ2章、十字架でサタンを打ち滅ぼすために、父の御旨を受け入れた。これが、愛・犠牲・仕えたということ。祈りがイエスの勝利の秘訣。弟子たちから少し離れ、神と一対一になり、切に神に向かう(この祈りは時と場所を定めてするもの、自然には出来ない。霊的戦い、このような祈りには天使が力づけてくれる)

弟子たちの姿を見ましょう。
悲しみに眠り込んだ。混乱した。イエスを捨て散らばって逃げた。主を知らないと否認し、試練に躓いた。
直面した状況の内容の違いではなく、祈らなかった。49節から見ると、この問題の本質は霊的な戦いであることを理解せず、血肉の戦いをしようとした弟子たちの姿を見る事ができます。人間には性格がある。遺伝的なもの、作られたもの、心の傷や過去の体験から来るもの、それらを総動員して。これが悪魔の誘惑です。神のようになるということ。
私たちにも、物事を考える力、理性的に判断し、問題を解く力が与えられている。私にも、です。しかし、大切なことは、はじめに神がおられ、全宇宙を創造された。創造の冠として、神のイメージで人間が神の目的を持って作られたと言うことです。
列車が、時計が、机が、マイクが、山が、海が、どんなに自己主張しても、作られた目的にかなわなければ、美しくありません。着物をガウンのように羽織ることまではいいかも知れません。馬とロバを掛け合わせたら、ラバが出来る。でもそれまでです。創造の原理に反しては、先がない。

聖書全体を一貫して繰り返し語られる真理がある。
恐れもある、感情も伴わない、弱さもある。しかし、御言葉を聞いた時、心で決め、唇で告白し、踏み出すことです。そして残念ながら、私たちはそれだけでは変わらない。人間関係の中で、指導者との関係、友人との関係、霊の家族のあり方、子供たちとの接触を通して、人格が整えられていくのです。この世は、あなたを未熟なままとどめようとします。でも教会はあなたにチャレンジします。神と交わり、神からいただき、神から引き出され、整えられ、成熟してください。父の心を持つまで。祈りの場に皆さんを招待します。


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地域教会への手紙

諸教会の牧師先生、会員皆様方  

主の御名を賛美いたします。

お元気で、福音宣教のお働きにお励みのことと思います。

23日の復活祭を控え、それぞれに御計画のあられることと思いますが、当教会の青年たちが祈りながら準備している、「PKセミナー・ワークショップ、コンサート」の企画書、プロフィール、ちらしを同封して、御案内させていただいております。

昨年12月の、クリスマス・コンサートで韓国から来熊してくれたPK(プロミス・キーパーという名前のヒップホップ・クリスチャン・ダンスチーム)の全身での賛美は本当に素晴らしいものでした。

同封の資料をご覧下さり、教会やお知り合いの青年たちに御紹介いただければと願います。私共は彼らのダンスを持っての賛美・礼拝が九州において豊かに用いられることを主に期待しております。又、各教会でPKを用いて集会を開催したいとのご希望がございましたらご連絡下さい。ご不明の点等ございましたら、教会にお問い合わせ下さい。


2008年3月6日(木)
熊本ベテル教会  
牧師 楊 茂華
http://www.kumamoto-bethel-church.com/
PKセミナー担当 宮木あすか

熊本、九州の若者たちの伝道を考えるとき、彼らの文化を思う。PKの宣教、全身全霊での礼拝、見て欲しい、感じて欲しい。若者でなくても、主を賛美する喜びを知ることが出来ます。

タンバリン、ハープ、そして、ダンス、教会は賛美が満ち溢れています。

 

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若者たちに対する神のビジョンは?

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彼らが神様に代わって声をあげる事です。(使徒2:17)

PK(Promise Keepers)セミナー

ヒップヒップダンスを通して、主イエス・キリストの福音を伝えること、ダンスを通して主に礼拝を捧げ、伝道するものを起こす。

10年後、教会の未来を背負う青少年たちには、神様の愛を、彼らの文化を通して知らせてくれるものが必要です。

PKは2000年7月に結成されました。全員、韓国人クリスチャンです。オンヌリTVとクリスチャンTVでは、‘PKと一緒に‘というプログラムを進行中です。全世界に17支部があり、世界各地で活躍中です。

今回、熊本に来て、セミナー、ワークショップ、パフォーマンスなどやります。祈りの中で準備しています。

どうぞお越し下さい。

3月15日(土)午前セミナー、午後ワークショップ
16日(日)午後3時、PKコンサート
17日(月)市内公園パフォーマンス展開

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薬膳?

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 朝ごはん、昼ごはん、晩ごはん、とにかく集まってご飯、ご飯、、、ご飯食べましょ! 薬膳?と思わせるようなヘルシーな韓国料理を満喫でした。

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宣教師派遣礼拝、聖潔大学、一信女子高訪問

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たった二日間を、慌しく回りました。宣教師派遣礼拝と、長野大学と聖潔大学、又、一信高校と言うミッションスクールとの協定、調印式に参加することになり、立ち会いました。

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ザアカイ!急いで降りてきなさい

 非常に単純なストーリー。ユダヤ人だけど、背が低い。取税人で金持ち。
エリコには国税庁に等しい税金徴収機関があって、税金徴収権を入札で獲得した人々が、取税人と呼ばれていた。ザアカイはそのかしらですから、徴税請負人で総監督だった。小太りで守銭奴みたいな日曜学校のイメージが強いが、こうして考えると、とても有能な人です。
でも、何か理由があって、ローマの支配下ですからローマ政府の手先、汚れた者などと疎外されていた取税人になり、蓄財した。お金に対する執着だったか? いや何故、お金に執着したのか?

 ザアカイは背が低いというセルフイメージの低さから背が高かったら、、、という偶像を抱えていました。自分を受け入れることが出来なかったのは、親にも神様にも反抗していたということです。
神に対する反抗心があると、①死にたい ②不器用 ③人間関係が困難 ④性的問題 、、、
そして一人の問題が増加の法則で夫婦に、家族に、町に、国にと拡大して社会問題に発展していく。
父母を敬うことが出来ない日本の大きな社会問題の一つです。

 ザアカイは渇いていました。人からなんと思われようと金があればと、蓄財してきた金持ちでしたが、その孤独感と疎外感は、イエス様のうわさを聞いたとき、誤魔化せなくなりました。彼は、プライドを捨てて、先回りして、金のためではなく、イエスを見るために、いちじく桑の木に登りました。金(世)から神へ、死から命へ、闇から光へ、否認から認識へと方向転換していきます。ザアカイの心に急激な変化がおきている。

 これは神御自身の働きです。のどが渇くと水を飲む。魂が渇くとみ言葉に、命の水に行くといい。人には出来ないが神には出来る。主は、ザアカイを見て、おっしゃいます。「ザアカイ、急いで・・・・今日は・・」

 真の羊飼いは羊の名を知っていると書いてあるとおりです。そしてやはり信仰は今、です。

 主はザアカイが本来のザアカイらしく、あるべき最高の者であるかのように受容する、助ける。
エルサレムに、十字架に向かって歩みを進まれる主は、盲人や子供、足なえの病人や、疎外されて無視されている小さな小さな者に目を留めていかれる。これが神の働きだと思います。

 受け入れられ、受け止められ、ザアカイは救われました。ザアカイの応答はその後の彼の財産管理、物質管理に見ることができます。

1.ザアカイに問題があった
2.神が働かれた
3.主に個人的に出会った
4.ザアカイは、主に感動し、新しい命の道を選択
5.人生は変わりました・・・癒しの実、神との関係、人との親密な関係、正しい方向性

 ザアカイは自分の人生に神の目的、人やすべての被造物に対する神の目的に、参加していくことが出来るようになりました。
 先日の、金持ちの青年は主から去っていった。あなたは?
 主に出会って、人生を変えましたか?

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父の愛~ルカ15章

 ルカ15章1節から3連のたとえ話の聴衆は、収税人、罪人達、パリサイ人、律法学者
パリサイ人のレベル・・・身分差に敏感に反応、軽蔑している人々と共に食卓につけない
 1.いなくなった1匹を大喜びする羊飼い
 2。なくした銀貨を念入りに捜して喜ぶ女の人
悔い改めるなら、
3.放蕩息子のたとえ、しかし主人公は父、父の心、父の愛

次男の要請・・・生前分与 父は与えるしかない、与えなくても出て行くか、険悪な関係になる
現実・・・目に見える現実は父の家にいる次男、目に見えない現実は、父の家が嫌だった。
次男は父から離れて、自由を得たと思った。でも自由は簡単に得られない。ピアニストが自由にピアノを弾く、シェフが、主婦が、美味しいものを作る、医師が医療行為をする、建築家が家を設計する、。。
生きていく自由を獲得するのに、どれだけの時間と経済とを投資したのか?

次男は放蕩する。現実と向かうあっていない。財産とは、何か? 健康、能力、家族、持ち物、資産、時間、奉仕。私の本質、存在

すべて使い果たして、飢饉になり、誰も彼を助けない、誰も彼を愛さない、誰も彼を必要としていない、精神的孤独と貧困の中での飢饉は、彼を打ちのめした。でも今までうまくごまかして来たに過ぎない。
10章に良きサマリヤ人の話がある。レビ人、祭司は強盗にあって倒れている人を助けませんでした。いわゆるクリスチャンです。毎年31000人が自殺、しかも過労自殺する国、長時間労働による疲労と過剰なストレスの中で、多くの人が強盗に襲われ倒れている状況です。世の仕組み、目的が歪んでいると思います。個人的な問題ではない。

男は失職、豚の世話をする。自分の本当の姿、内面を見ることになります。絶望の中で、われに返り、父を思い出します。そして、方向転換する。この行動が本当に大事です。父は待っていますね。実は次男に傷ついています。父と子、世代も立場も違うので、いつも理解しあうことが出来ません。でも父という理由で、子という理由で愛することが出来ます。豚の匂いのぷんぷんする次男を父はしっかりと抱いて、パーテイをします。

それまで、見えない現実だった長男のことが表れ出ます。長男は父の家にいたけれど、実はいなかった。喜び、感動が全然ない、義務感で一杯。だから父が次男にしたことを見て、比較と競争の心に支配されて、被害者意識にはまってしまいます。
実は恵みの子、二倍を相続する特権の子
でもその立場を忘れてしまった、父との関係が脆弱でした。父の愛が分からず、自分への恵みを忘れた。
父は言いました。全部、お前のものだよ、お前はいつも私と一緒にいる、と。
この父の心は、子供たちを受け入れようとするものでした、理解しようとするものでした。信頼に値するものでした。父は次男が帰ってきたとき、先に走りよって彼を抱き、あらゆる攻撃、告発から保護しました。これは無条件の父の愛でした。
へりくだって正直になるなら、この父の心が分かります。へりくだって正直になるなら、罪人が悔い改め、神のところに方向転換する姿を今日も父が待ち望んでいることを感じることが出来ます。発見した次男を抱いて、楽しんで喜ぼうとした父は、過去を問わず、未来を見ました。神はこれから先の将来を見てくださっています。世界のクリスチャンは、特に韓国のクリスチャンは、日本が失われた1匹の羊だといって、日本のために祈っています。神は悔い改めて神に方向転換することを待ち望んでおられます。あなたの家族の中にまだ主を信じない魂があるでしょう。神との絆をしっかり結び(理解・信頼・保護)満たされ、父の心を実践するものとなりましょう。

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問題を問題と見る目~趙誠源牧師

本当の問題は、問題を問題だと見る目です。
環境が問題だと考える心です。

偉大な神を見上げましょう。
どんな問題も解決出来る神を仰ぎましょう。

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賛美集会~2008.2.17

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十字架の言葉は、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。

優しそうな青年たち、でも、すっごい力と勢いにあふれた集会リード、主への叫びの祈り、大声での賛美。

この集会のためのあらゆる奉仕に感謝しつつ。

チラシを見てくださった御近所の一家は、最後までいてくれました。有難うございました。神様、祝福してください。

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Sさんの証(青年会)

私は先日、社会福祉士国家試験を受験してきました。先に就職の内定を頂いていましたが、この資格を有していることが採用条件でもあったため、試験の合否はとても重要な意味を持っていました。すでに自己採点をしましたが、合格ラインに達していたようです。皆さんお祈りありがとうございました。
 私は国家試験を受けるにあたって、大体このような感じで試験勉強をしていくだろうと予想していましたが、今回は今までとは全く違いました。以前の私は、自分にも他人にもとても厳しく、焦り症で、完璧主義でした。そして、いつも人から認められたい、褒められたいとずっと思っていました。だから、今回の試験勉強も、試験が近づくとピリピリして、勉強以外のことは全部後回しにしてするのだろうと思っていました。
 しかし、今回の私は違っていました。まず、神の国と神の義とを第一に求めたのです。具体的には、教会の事だけは後回しにしないと決めていました。私が恐れたのは神様だけでした。神様を第一にして出た結果は、神様のみこころだから、どんな結果でも受け止められる気がしました。しかし、もし私が神様を差し置いて勉強をしたとしても、そこに神様のみこころは無いだろうし、意味が無いようにさえ感じました。
 私がこのように考えられるようになったのには、去年の様々な体験が大きな影響を与えています。去年私はとても辛い時期を祈りながら乗り越えました。先ずは、三年半お付き合いした彼との別れ、そして、働いていた会社の倒産、その後始めた就職活動も全然上手く進みませんでした。その事だけを見れば、本当に悲惨で、分かち合いを聞いてくれた兄弟姉妹も正直どう声をかけたらいいのか困惑しているようでした。それでも皆そっと祈りで支えてくれました。しかし、神様はこのような全ての悲しみを喜びへ、そして私の益へと変えて下さいました。彼との別れは、私の罪からの解放でもありました。ずっと握り締めていたものを、やっと手放し、最後の古い衣を脱ぎ捨てる事が出来ました。会社が倒産したおかげで、私は失業保険をもらいながら勉強に集中することが出来ました。また、就職も結局は、日曜日が休みで希望する職業に決まりました。このような経験から、自分でも気づかないうちに、私の優先順位、物事への取り組み方が変わっていました。
 試験が近づいても、相変わらず教会中心の生活をしている私を見て、母は少し心配そうでした。でも、私には日に日に不安や緊張が無くなっていきました。神様の私に対するビジョンにこの資格が必要なら、きっと受かると確信していたのかもしれません。とにかく前日もカナン聖研の後、ワーシップダンスを喜んで練習し、福岡に向かいました。
 試験当日は皆の祈りもあってか、驚くほど落ち着いていました。少し霊の呼吸でクラクラとはしましたが…。受けた感じとしては、難しかったです。全く分からない問題もたくさんありました。そんな時は「イ・エ・ス・さ・ま!」「よし!答えは5番。」なんて解答のしかたをした程でした。実家に帰り、兄と自己採点をしましたが、本当に奇跡でした。今まで取ったことのないような点数でした。勘で答えたものもたくさんあっていました。兄は「神様すげぇー!!」と言い、家族も「神様の憐れみ意外に考えられない」と言いました。私もすぐに感謝の祈りをしました。
 今回の経験を通して、私は神様に変えられてきた事に気付き、そして神様の御心を願うならば、神の国と神の義を第一に求めるしかないと確信しました。これから社会人になり、また環境も大きく変わりますが、私自身この証を忘れずに、神様の御心を歩むものになっていきたいと思います。

誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、全てが新しくなりました。   Ⅱコリント5:17


ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうどよい時にあなたがたを高くして下さるためです。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配して下さるからです。     Ⅰペテロ5:6,7

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カナン聖研は。。。

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ゲストの韓国人青年たちと合同で行いました。「主よ!この人数で、言語も違います、どうしましょう?!」 心は慌てています。N宣教師が、いつもの通り、やりましょうと平然と言うのですが、心の中は、(そんな事言ったっていつもの人数でも時間足りないのに、、、。) せっかくの機会をどう用いたらいいのかと、頭はグルグル巻きです。

賛美、祈り、自己紹介、アイスブレーク、学び(祈りについて)、告白、分かち合い、祈りで恵み豊かに終えられたのは、主がおられ、導いてくださったからですね。感謝!!!  宿題を忘れないでね!

分かち合いの中で聞いたHさんの、主からの幻は、日本の教会への警告と執り成し祈りの緊急性を語ってくれました。考えさせられました。
 Tさん、自分の十字架を負って、主についていきなさい。基礎を築いて、建て始めた家が完成するのは、主に聞く耳を持ち、聖霊で満たされることです。弱さに働いてくださる主は、強くて偉大な神です。この道に歩むことには悔いがありません。 God bless You!  祈られていますよ。

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来客~韓国のクリスチャン大学教授達

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火曜日はフェローシップの日で、朝の10時から会員たちが10名ぐらい集まります。この日は欠席の多い日でしたが、韓国から来日中の、韓国のクリスチャンの大学教授たちが、ひょいと教会を訪問してくれました。熊本城から阿蘇への途上だったらしいのですが、話が盛り上げってしまって、、、。その後、阿蘇は行かれたかどうか分かりません。
日本の学生たちの価値観や、様子など色々聞かれました。徳川家康の幕藩体制にまで話は及びとどまりません。最後、コーヒー・ゼリーって日本独特の食べ物みたいー! 作り方をしつこく聞かれました。美味しかったみたいです。韓国人と話すのは、やはり楽しいです。ほとんど元気で明るいというのが印象です。

この日の午後は夕方まで三人の聖徒たちと、「敬拝と賛美」(朴 政権著)の学びをして、又満たされました。夜は青年女性会の集まりがあるようでした。みんな、お疲れ様!

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ゴスペル・コンサート2.17

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熊本ベテル教会  会堂にて
2008年2月17日
午後3時から

今年初めてのゴスペル・コンサート
熱い熱いクリスチャン青年たちが、神を心から賛美します。

どなたでも、参加出来ます。
入場は無料です。是非お越し下さい。
心よりお待ち申し上げます。

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青年会との食事会

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